オットー・カーンバーグ 自己愛の理論

オットー・カーンバーグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/11 08:18 UTC 版)

自己愛の理論

カーンバーグによると、自己とは複数の自己表象から成る精神内部の構造のことだ。それは善と悪の自己イメージを統合しているような現実的な自己である。すなわち、自己はリビドーと攻撃性の備給された要素が組み合わさった構造を構成する。カーンバーグは通常の自己愛を自己のリビドー備給として定義した。しかしながら、この自己のリビドー備給が、単にリビドーエネルギーの本能的源から生じているわけではないことは、強調される必要がある。それどころか、自我-超自我-イドといった、自他の精神内部の構造間の諸関係に由来するのだ。

自己愛の類型

健全な大人の自己愛

これは普通の自己構造に基礎を置く普通の自己評価のことである。この人は、摂取された対象表象の全体を持ち、安定的な対象関係と強固な道徳体系を持つ。超自我は十分に発達し他と区別されている。

健全な子供の自己愛

自己評価の規範は年齢にみあった満足を通して生起するが、それは子供の健全な価値・要求・禁止の体系を含み意味する。

病的な自己愛

3つの亜型
  • 幼児的自己評価規範への退行。理想自我は子供のような欲求や価値および禁止により支配されている。自己評価の規範は、大人の生活では廃棄されるような幼児的快楽に対する表出や防衛に過剰に依存している。これは最も軽度な病的自己愛のタイプだ。
  • 自己愛的対象選択。このタイプは初めのものよりは深刻だがより稀である。幼児的自己の表象は対象に投影され、その同じ対象を通して同一化される。それ故、リビドー連合が生じ、そこでは自己と他者の機能が入れ替わる。
  • 自己愛性人格障害。このタイプは健全な大人の自己愛とも健全な子供の自己愛への退行とも違う。最も重篤なタイプであり精神分析療法に適している。

カーンバーグの見方では、自己愛性人格は、健全な大人の自己愛から区別され、健全な子供の自己愛に向けられる固着あるいは退行からも区別される。発達の原初的段階での固着や特定の精神内部の構造の発達の欠落では、自己愛性人格の特徴を説明するのに十分ではない。それらの特徴(自我と超自我構造の病的な区別と統合の過程を通しての)は病的な対象関係の結果なのだ。病的自己愛は単なる自己の内でのリビドー備給なのではなく、病的で未発達な自己の構造の内でのものなのだ。この病的構造は早期の自己と他者のイメージに対する防衛(それらはリビドー的あるいは攻撃的な備給である)を表出する。精神分析のプロセスは原初的対象関係、衝突と防衛(それらは対象が安定する前の発達段階では典型的である)を明るみに出す。

カーンバーグ vs コフート

オットー・カーンバーグとハインツ・コフートは、過去と現在の精神分析理論に顕著な影響を与えてきた二人の理論家であると考えられる。二人とも、分析的治療には合わないという風に考えられていた患者の観察と治療に焦点を当てた。彼らの主たる業績の殆どが、自己愛性か境界性か精神病の病理を持つ人達に関係している。今なお、これらの障害の原因、精神構造、治療法、に関する彼らの見取り図は大幅に違っている。全体として見ると、コフートは、根本的にジグムント・フロイトの仮説的諸概念から出発した自己に関する理論家と見なされ、主に人々の自己組織化や自己表現への欲求に焦点を当てた。カーンバーグは対照的に、フロイト派のメタ心理学への忠誠を残し、人々による愛憎を巡る苦闘に関してより力を注いだ。彼らの主たる違いを以下に要約する。

自己愛性人格と境界性人格の関係

この二人の理論家の主要な不一致の1つは、自己愛性・境界性人格障害内の概念化を中心に展開している。カーンバーグによれば、自己愛的な人の防衛構造が境界性の人のそれとよく似ているのは、スプリッティングや投影性同一視のような防衛を見る時にそれが明白になるのだが、前者が境界性人格構造に基礎を置くからなのだ。彼は、彼/彼女の感情や欲求に対して無関心でうわべだけで(冷淡に)子供を扱う母親代理の重大な役割を強調することにより、これらの人々への阻害の起源としての環境要因と体質的要因を識別する。コフートは他方、境界性人格を自己愛性人格とはすっかり違ったもので、分析的治療から受けられる利益も少ないと見ている。同様に、自己愛性人格はより回復力に富む自己によって特徴付けられるので、分析により適している。コフートによれば、環境だけがこれらの人々の苦しみの主たる原因である。更には、双方が自己愛性人格の理論化において「誇大自己」の概念に焦点を当てるのだが、彼らは異なった説明をそれに与えている。コフートにとって「誇大自己」は「原初的で『正常な』自己の固着」の反映であり、一方カーンバーグにとってはそれは病的な発達なのであり健全な自己愛とは違うのだ。コフートにとって治療は主に患者の自己愛的な欲求や希望、転移のプロセス中で露呈するを要求を促進させることに中心を置くべきものである。カーンバーグにとっては、治療の目的には患者が彼/彼女の内的な断片化した世界を統合するのを手助けするために対立の戦略が用いられるべきなのだ。

健全な自己愛 vs 病的な自己愛

コフートとカーンバーグ間の主たる議論の1つは健全と病的な自己愛に関するものだ。前述のように、コフートは自己愛性人格が発達停止に苦しめられていると仮定する。特に、彼はこのタイプの人格は、親の環境下での子供時代の発達においてなお満足を与えられなかったところの、順応性のある自己愛的な希望や要求や対象を、映し出していると仮定する。ここにおいて、誇大自己は健全な自己と成るべき見込みの原初的形式以上のものではない。このことが起こらなかった時に病的自己愛が出現するのだ。病的自己愛に対する彼の説明では、どのようにこの障害が発達するかの原因を規定するためにリビドー的力や備給に注意が支払われている。彼にとってこの攻撃衝動はリビドー衝動に関して第2番目に重要なものなのであり、凡庸な攻撃性と自己愛的憤怒を区別すべきである理由なのだ。前者は、彼によるなら、現実的なゴールに向かう場合の妨害物を消すための適応であるのに対し、後者は自己愛的な傷に対する強力な反応である。カーンバーグは、しかしながら、コフートの着想を攻撃性の力を重視しないものだと見なしている。彼は、自己愛的振る舞いが攻撃衝動がその中心的役割を担うような病的発達の結果であると提案することによって、フロイト派の概念化をより支持する。彼は、自己愛は全体に見てリビドー衝動から分けて考えることが出来ない強い攻撃衝動を含んでいると述べている。「各自の内的対象関係の発達をリビドー的・攻撃的衝動の双方の肢に関係づけることなしに、健全あるいは病的な自己愛の変遷を学ぶことは出来ない」と彼が言うように。

自己愛的理想化と誇大自己の関係

コフートは、転移を発展させる能力を欠いていて幾らかの患者は分析できなかったと示唆した、古典的なフロイトの考え方から離れた。彼は、自己愛患者は転移を出現させる能力があるがこれらは他の患者(神経症のような)とやや違うのだと主張した。彼は3つのタイプに分けたのだが、すなわち理想化、鏡、双子転移である。彼のカーンバーグとの議論は殆ど理想化転移に関係していて、コフートによると、健全な発達における原初レベルでの固着と関係している。それでもカーンバーグは理想化転移は、転移において誇大自己の実質的な駆り立てに対する反応として形成されたところの、理想化の病的な型以上ではないと信じた。

精神分析の技法と自己愛的転移

オットー・F・カーンバーグとハインツ・コフートは、分析者の役割と同様に分析のプロセスを、まったく違う観点から尊重した。

オットー・カーンバーグによる病的自己愛に関する分析的立場

カーンバーグは、転移の中に現れる誇大自己と理想化の防衛的機能に関する方法論的で永続的な解釈を求めた[5]。『重度人格障害 ~精神療法の方策』(ニュー・ヘイブン:イェール大学出版局)。分析者の役割は、特に対立的なプロセスにおいては、自己愛者の病的構造を修正するため、補助的と言うよりはむしろ中立的であるべきである[6]。「分析者は、これらのケースの個別的な転移の質に焦点を当て続け、一貫して患者の全能的支配と価値の引き下げへの努力に対抗しなければならない」自己愛的現象の攻撃的解釈に対するこの伝統的な強調は、フロイト初期に分析不能だった自己愛神経症と、分析過程で最も強情な抵抗を起こす自己愛的防衛、に対する見方に由来し完全に一致している。

ハインツ・コフートによる病的自己愛に関する分析的立場

原始的誇大感や理想化を現実からの防衛的退却の表象として見る一方で、ハインツ・コフートは分析場面での自己愛的錯覚を発達上の重大な契機を確立しようとする患者の試みの表象として捉える。これらの自己愛的錯覚はそれ故自己の活性化への契機を与える[7]。だから、ハインツ・コフートは治療における分析者の立場が十全な自己愛転移を、問題にする代わりに、励起するべきであるところに存すると主張する[7]。これを確立するため、分析者は共感的理解を示せなければならないが、それには自己愛的錯覚に対する感受性と、彼らへ異議申し立てをしたりそれらが非現実であることを示唆したりのすべてのいかなる負担をも忌避することを必要とする[7]。ハインツ・コフートは自己愛転移と自己-対象要求の概念を使う。彼はまた幼稚症と、分析者とその他の全員に対する過剰な要求であるように見えるものの重要性を強調する。放棄されるべき本能的希求というよりはむしろ、あたたかく受け入れ理解されるべき発達上の要求を彼らは見失っている。患者は、彼の発達の早期に何が失われたのかを他者から引き出そうとすることにより、自己治癒を手探りしている。ハインツ・コフートは、分析者がどのように彼が知っていると思っていようと、患者は彼が何を必要としているのかを知っていると感じている[8]。彼は成熟におけるまた発達を通しての希望の重要性を強調する。自己の経験を活性化する理想と理想化への要求が持続してある。彼の自己愛患者との仕事の中において、ハインツ・コフートの精神分析的方法論の決定的特徴はだから共感的没入(あるいは代行的検討)となり、それ故彼は患者の身になって考えようとする[9] 。この見地は上記に議論したフロイト早期の自己愛的防衛の分析可能性に関する見地と好対照である[10]

ハインツ・コフートとオットー・F・カーンバーグにより考察されたアプローチ

コフートとカーンバーグの両方は、互いのアプローチを逆効果だと見なしていた。コフートの視点からは、カーンバーグが勧める方法論的解釈アプローチは、自己愛的に弱い患者により攻撃として解釈され激しい自己愛的憤怒を生成する。カーンバーグはこれらの患者を治療するためにむしろこの方法論を勧めているので 自己心理学はカーンバーグをそれを治療する代わりに自己愛を創造していると見なしている[7]。他方、カーンバーグは(より伝統的な視点から)コフートのアプローチは何ももたらさないと見ている。患者の錯覚に対する、それらが結局はひとりでに減退するのだという仮説を伴う、疑問を差し挟まない受容は患者の防衛との共謀を意味する。分析の過程はそれ故堕落し、分析者は有意義に患者を手助けしうる人物として出現することはない[7]

統合関係的アプローチ

しかしながら、ミッチェルは カーンバーグとコフートの観点が双方つなげられた統合関係的アプローチを提案している。彼の意見によれば、「自己愛へのより伝統的なアプローチは、自己愛的錯覚が防衛的に使用される、重要な道筋を強調しはするが、それらの健康と創造性における、またある種の発達上不可欠な他者との関係性の確立における、役割を見落としている。発達停止アプローチ(コフート)は自己愛的錯覚の成長増進機能を強調した自己愛への考え方を生んだが、それらはしばしば被分析者と分析者を含む他の人々との現実的関与を収縮させ阻害する領域を見逃している。」とする。ミッチェルは「被分析者の錯覚をはっきりさせ抱擁することが一方で、それらが経験されうるより大きな背景の提供がもう一方であるような、微妙な弁証法」を勧める[7]


  1. ^ a b c d Clarkin, J.F., Levy, K.N., Lenzenweger, M.F., & Kernberg, O.F. (2004). The personality disorders institute/Borderline personality disorder research foundation randomized control trial for borderline personality disorder: rationale, methods, and patient characteristics. Journal of Personality Disorder, 18(1), 52-72.
  2. ^ Foelsch, P.A.,& Kernberg, O.F. (1998). Transference-Focused Psychotherapy for Borderline Personality Disorders. Psychotherapy in Practice, 4(2), 67-90.
  3. ^ Horacio Etchegoyen : The Fundamentals of Psychoanalytic Technique, Karnac Books ed., New Ed, 2005, ISBN 185575455X
  4. ^ a b Levy, K.N., Clarkin, J.F., Yeomans, F.E., Scott, L.N., Wasserman, R.H.,& Kernberg, O.F. (2006). The mechanisms of change in the treatment of borderline personality disorder with transference focused psychotherapy. Journal of clinical psychology, 62(4), 481-501.
  5. ^ Severe personality disorders: psychotherapeutic strategies. New Haven: Yale University Press.
  6. ^ Kernberg, O. (1975). Borderline conditions and pathological narcissism. New York: Jason Aronson
  7. ^ a b c d e f Mitchell, S.A. (1988). Relational concepts in psychoanalysis: An integration. Cambridge, MA: Harvard University Press.
  8. ^ Mitchell, A.A. (1993). Hope and Dread in Psychoanalysis. New York: Basic Books.
  9. ^ Kohut, H. (1959). Introspection, empathy and psychoanalysis. Journal of the American Psychoanalytic Association, 7, 459-483.
  10. ^ Mitchell, S.A. & Black, M.J. (1995). Freud and beyond. A history of modern psychoanalytic thought. New York: Basic Books.
  11. ^ Cohen, M. (2000). Love Relations: Normality and Pathology: Otto Kernberg, Yale University Press. Journal of American Academic Psychoanalysis, 28, 181-184.





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