「日本浮世絵協会」を解説文に含む見出し語の検索結果(71~80/1742件中)
喜多川 竹麿(きたがわ たけまる、生没年不詳)とは、江戸時代の浮世絵師。来歴喜多川歌麿の門人、喜多川の画姓を称す。軽筠堂竹丸とも。作画期は享和から文化の頃にかけてとされ、享和4年(1804年)刊行の絵...
ナビゲーションに移動検索に移動喜多川 花麿(きたがわ はなまる、生没年不詳)とは、江戸時代の浮世絵師。来歴喜多川歌麿の門人または秀麿の門人といわれる。俗称文治。作画期は享和の頃で洒落本の挿絵を描く。な...
ナビゲーションに移動検索に移動国平(くにひら、生没年不詳)とは江戸時代の大坂の浮世絵師。来歴丸丈斎国広の門人。大坂の人。国平と号して文化13年(1816年)に役者絵を描いている。作品に大判の錦絵「奴そ...
ナビゲーションに移動検索に移動堤 等栄(つつみ とうえい、生没年不詳)とは江戸時代の堤派の絵師。来歴3代目堤等琳の門人。等栄と号して天保期に作画したといわれる。茅場町に居住するという。作品「源平合戦図...
堤 雪峰(つつみ せっぽう、生没年不詳)は江戸時代の堤派の絵師。来歴堤等琳の門人。神田大工町に住んでいた。堤氏を称し、孫二1世を名乗る。俗に雉子定といい、主に文化期に活躍した。一説には堤等琳 (2代目...
ナビゲーションに移動検索に移動大和川 錦舟(やまとがわ きんしゅう、生没年不詳)とは、江戸時代の浮世絵師。来歴師系・経歴不明。「大和川錦舟」と落款した肉筆画「俳優図」(紙本着色)が作として知られるのみ...
ナビゲーションに移動検索に移動太田 多吉(おおた たきち、生没年不詳)は江戸時代末期の彫師。略歴彫多吉と号す。朝倉伊八系の彫師、須川廉吉の下職経歴、後に版元に転ず。歌川国芳の錦絵を担当した。作品歌川国...
ナビゲーションに移動検索に移動宝屋 大吉(たからや だいきち、生没年不詳)とは江戸時代の地本問屋である。来歴江戸の浅草茅町において寛政期に地本問屋を営業している。主に鳥囀斎栄寿の錦絵を出版している。作...
ナビゲーションに移動検索に移動小ノ口 藤三郎(このぐち とうざぶろう、生没年不詳)とは明治時代の東京の地本問屋。来歴明治時代に東京の八丁堀仲町3丁目において地本問屋を営業している。1881年(明治14...
ナビゲーションに移動検索に移動小杉 桜湖(こすぎ おうこ、生没年不詳)とは、明治時代の浮世絵師。来歴師系・経歴不明だが、歌川派系統の絵師とされる。明治期に錦絵を版行している。作品「青山練兵場観兵式之図...