「まえだとしいえ」を解説文に含む見出し語の検索結果(21~30/370件中)
読み方:まえだ としあつ富山藩主・伯爵。東京生。利声の養子となり越中富山十万石を嗣ぐ。維新後英仏留学をし、外交官となる。のちに式部宮、伯爵、宮中顧問官となる。大正10年(1921)歿、66才。
読み方:まえだ としあつ富山藩主・伯爵。東京生。利声の養子となり越中富山十万石を嗣ぐ。維新後英仏留学をし、外交官となる。のちに式部宮、伯爵、宮中顧問官となる。大正10年(1921)歿、66才。
読み方:まえだ としつぐ十五代加賀金沢藩主・侯爵。幼名多慶丸・筑前守。前田慶寧の子。貴族院議員・麝香間祇園候を務め、従二位勲二等に叙せられる。明治33年(1900)歿、43才。
読み方:まえだ としつぐ十五代加賀金沢藩主・侯爵。幼名多慶丸・筑前守。前田慶寧の子。貴族院議員・麝香間祇園候を務め、従二位勲二等に叙せられる。明治33年(1900)歿、43才。
読み方:まえだ としいえ安土・桃山時代の武将。金沢藩主前田家の祖。尾張生。利昌の四男。名は犬千代・孫四郎。幼少より織田信長に仕えるが、のち豊臣秀吉に従う。越後守となり、のち五大老に列せられる。秀吉歿後...
読み方:まえだ としなお江戸中期の大聖寺藩主。利明の三男、母は慈眼院。幼名は大学、のち内記と改める。貞享三年従五位下大内記に叙せられる。宝永7年(1710)歿、39才。
読み方:まえだ としなお江戸中期の大聖寺藩主。利明の三男、母は慈眼院。幼名は大学、のち内記と改める。貞享三年従五位下大内記に叙せられる。宝永7年(1710)歿、39才。
読み方:まえだとしいえ[1538〜1599]安土桃山時代の武将。加賀藩主前田氏の祖。尾張の人。幼名、犬千代。織田信長に従い、各地で戦功をたてた。のち、豊臣秀吉に仕え、五大老の一人として、秀頼の後見を託...
読み方:まえだ としやす富山藩主。通称啓太郎・出雲守・長門守、字伯衡、号は益斎・自知館・万香亭等。本草学を栗木丹明・岩崎潅園に学ぶ。殖産興行の発達に尽くし、東田地方に薬草園を設ける等、富山の特産売薬業...
読み方:まえだ としやす富山藩主。通称啓太郎・出雲守・長門守、字伯衡、号は益斎・自知館・万香亭等。本草学を栗木丹明・岩崎潅園に学ぶ。殖産興行の発達に尽くし、東田地方に薬草園を設ける等、富山の特産売薬業...