「宝暦10年」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/1395件中)
読み方:きむら りょうたく江戸中期の画家。名は喬久。絵所となる。宝暦10年(1760)歿、56才。
読み方:きむら りょうたく江戸中期の画家。名は喬久。絵所となる。宝暦10年(1760)歿、56才。
読み方:むしゃのこうじ さねおか公野の男。従三位。宝暦10年(1760)歿、40才。
読み方:むしゃのこうじ さねおか公野の男。従三位。宝暦10年(1760)歿、40才。
読み方:なるしま のぶみち江戸中期の儒者、通称己之助、忠八郎等、号は錦江、芙蓉道人、松平下総守家臣平井金右衛門信体の三男、成島道雪(信次)の養子。冷泉家門為綱、為久、為村の三代門弟、荻生徂来に学ぶ。詩...
読み方:なるしま のぶみち江戸中期の儒者、通称己之助、忠八郎等、号は錦江、芙蓉道人、松平下総守家臣平井金右衛門信体の三男、成島道雪(信次)の養子。冷泉家門為綱、為久、為村の三代門弟、荻生徂来に学ぶ。詩...
江戸中期の儒医。京都の人。名は毅、号は淇園、通称を新蔵。伊藤仁斎・東涯の門で学び、のち並河天民を師とした。孝恭の娘は天民の子尚友に嫁し、両家は深いつながりをもつ。宝暦10年(1760)歿、72才。
読み方:せき まさとみ江戸中期の備中新見藩関家第三代当主。先代長広の後を受けて、藩政の再興に努める。又学問を好み、藩士子弟のため藩校思誠館を設立し、教育に尽力した。宝暦10年(1760)歿、38才。
読み方:せき まさとみ江戸中期の備中新見藩関家第三代当主。先代長広の後を受けて、藩政の再興に努める。又学問を好み、藩士子弟のため藩校思誠館を設立し、教育に尽力した。宝暦10年(1760)歿、38才。
読み方:どうぶんつうこう江戸中期の文字研究書。4巻。新井白石著。宝暦10年(1760)刊。漢字・仮名・国字などの成立・沿革などを体系的、実証的に研究したもの。文字考。書契文談。
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