「まつざきこうどう」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~6/6件中)
読み方:まつざきこうどう江戸後期の儒者。肥後生。名は密、のち復、字は明復、通称を退蔵、慊堂は号、別号に当帰山人・木倉等。程朱学派。掛川藩儒臣。昌平黌出身。林述斎に学ぶ。弘化4年(1847)歿、74才。
読み方:まつざきこうどう江戸後期の儒者。肥後生。名は密、のち復、字は明復、通称を退蔵、慊堂は号、別号に当帰山人・木倉等。程朱学派。掛川藩儒臣。昌平黌出身。林述斎に学ぶ。弘化4年(1847)歿、74才。
読み方:しおのやとういん[1809〜1867]江戸末期の儒学者。江戸の人。名は世弘。松崎慊堂(まつざきこうどう)に師事。浜松藩主水野忠邦に仕え、のち幕府の儒官。「阿芙蓉彙聞」「籌海(ちゅうかい)私議」...
読み方:しおのやとういん[1809〜1867]江戸末期の儒学者。江戸の人。名は世弘。松崎慊堂(まつざきこうどう)に師事。浜松藩主水野忠邦に仕え、のち幕府の儒官。「阿芙蓉彙聞」「籌海(ちゅうかい)私議」...
読み方:しおのやとういん[1809〜1867]江戸末期の儒学者。江戸の人。名は世弘。松崎慊堂(まつざきこうどう)に師事。浜松藩主水野忠邦に仕え、のち幕府の儒官。「阿芙蓉彙聞」「籌海(ちゅうかい)私議」...
読み方:まつざきこうどう[1771〜1844]江戸後期の儒学者。肥後の人。名は密・復。字(あざな)は明復。別号、益城。江戸に出て林述斎に朱子学を学び、のち、遠江(とおとうみ)掛川藩の教授。蛮社の獄では...
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