「さんじょうにし」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/105件中)
読み方:さんじょうにし姓氏の一。藤原北家閑院流。南北朝時代の正親町(おおぎまち)三条実継の二男公時に始まる。西三条ともいう。[補説] 「三条西」姓の人物三条西実隆(さんじょうにしさねたか)三条西季知(...
読み方:さんじょうにし姓氏の一。藤原北家閑院流。南北朝時代の正親町(おおぎまち)三条実継の二男公時に始まる。西三条ともいう。[補説] 「三条西」姓の人物三条西実隆(さんじょうにしさねたか)三条西季知(...
読み方:さんじょうにし姓氏の一。藤原北家閑院流。南北朝時代の正親町(おおぎまち)三条実継の二男公時に始まる。西三条ともいう。[補説] 「三条西」姓の人物三条西実隆(さんじょうにしさねたか)三条西季知(...
読み方:さんじょうにし 久邇宮邦彦王の第二王女。伯爵三条西公正の妻。皇太后良子は姉、大谷智子は妹。大日本連合婦人会会長。昭和20年(1945)歿、41才。
読み方:さんじょうにし きんあえ幕末・明治の公卿。幼名徳丸。三条西季知の子。侍従、伯爵、左近衛少将、左中将。安政勤王八十八廷臣の一人。明治37年(1904)歿、64才。
読み方:さんじょうにし きんあえ幕末・明治の公卿。幼名徳丸。三条西季知の子。侍従、伯爵、左近衛少将、左中将。安政勤王八十八廷臣の一人。明治37年(1904)歿、64才。
読み方:さんじょうにし さねいそ江戸後期の公卿。三条西廷季の子、前中納言正二位、天保7年(1836)入道、法名は端空。弘化2年(1845)歿、61才。
読み方:さんじょうにし さねいそ江戸後期の公卿。三条西廷季の子、前中納言正二位、天保7年(1836)入道、法名は端空。弘化2年(1845)歿、61才。
読み方:さんだいじんけ江戸時代、大臣にまで昇進できる家柄の三家。中院(なかのいん)家・正親町三条(おおぎまちさんじょう)家・三条西(さんじょうにし)家の称。
読み方:さんだいじんけ江戸時代、大臣にまで昇進できる家柄の三家。中院(なかのいん)家・正親町三条(おおぎまちさんじょう)家・三条西(さんじょうにし)家の称。
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