盛徳寺とは? わかりやすく解説

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盛徳寺

読み方:セイトクジ(seitokuji)

宗派 真言宗智山派

所在 埼玉県行田市

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

盛徳寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/05 06:23 UTC 版)

盛徳寺

所在地 岐阜県岐阜市加納奥平町1-22
位置 北緯35度24分2.4秒 東経136度45分17.2秒 / 北緯35.400667度 東経136.754778度 / 35.400667; 136.754778座標: 北緯35度24分2.4秒 東経136度45分17.2秒 / 北緯35.400667度 東経136.754778度 / 35.400667; 136.754778
山号 香林山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来
創建年 不詳
中興年 延宝7年(1679年)
中興 卍元師蛮
札所等 岐陽大師二十一札所1番
法人番号 7200005000638
盛徳寺
盛徳寺 (岐阜県)
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盛徳寺(せいとくじ)は岐阜県岐阜市加納奥平町にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は香林山。加納藩主奥平氏所縁の寺である。

創建不詳。慶長6年(1601年)に加納藩主に封じられた奥平信昌三河国にあった奥平氏菩提寺を加納に移し、久昌山増端寺とした。その後奥平信昌が没すると住持の月船により荼毘に付されて葬られた。遺骨の一部は高野山に納められたという。更に奥平信昌の正室亀姫が没した際にその墓所を奥平信正の墓の隣に設けた。その際、寺号を亀姫の戒名、盛徳院殿香林慈雲大姉に因み現在の寺号に改めた。奥平氏が改易されると外護者を失い衰微するが、延宝7年(1679年)に卍元師蛮により再興される。卍元師蛮は『延宝伝灯録』や『本朝高僧伝』といった僧侶の伝記を著したことで知られる当代の碩学であった。

文化財

岐阜市指定文化財

  • 絹本着色亀姫像
  • 絹本著色奥平信昌像

岐阜市指定史跡

  • 奥平信昌夫妻墓

参考文献

  • 岐阜市 『加納町史』p858-861 1980年


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