ワシントン・ナショナルズ (1875年)とは? わかりやすく解説

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ワシントン・ナショナルズ (1875年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/22 07:21 UTC 版)

ここでは1875年アメリカ合衆国ワシントンD.C.で活動していた、ワシントン・ナショナルズWashington Nationals)について記述する。

球団史

ワシントンでは1873年にブルーレッグスが消滅した後、1875年に再びナショナルズが結成される。前年にハートフォードで投げていたビル・ステアーンズを呼び戻すなどし、それまでのナショナルズ、ブルーレッグスにも参加していたホリー・ホリングスヘッドが監督兼任選手となった。ただ財政的に厳しかったのは相変わらずだったようである。

新たにチームに加入した投手ビル・パークスが4勝を挙げたが、チーム打率.193と全く打てないチームで、開幕から11連敗を喫する。同年7月のセントルイス遠征中に運営が破綻しチームは解散した(最後の対戦相手だったセントルイス・レッドストッキングスも同時に解散した)。遠征先の選手からは『球団関係者が資金を持ち逃げした』という電報が打たれたという。

戦績

年度 リーグ 試合 勝利 敗戦 勝率 順位 監督 本拠地
1875年 NA 28 5 23 .179 9位 ホリー・ホリングスヘッド
ビル・パークス
Olympics Grounds

所属した主な選手

  • ビル・パークス:投手としてプレーしたのは1年のみ。チーム最多の4勝を挙げた。

主な球団記録

  • 通算最多安打:24(アート・アリソン)
  • 通算最多打点:13(ジョン・デイリー)

関連項目

出典・外部リンク



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