クラーモント男爵とは? わかりやすく解説

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クラーモント男爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 05:23 UTC 版)

クラーモント男爵(クラーモントだんしゃく、: Baron Clermont)は、イギリス貴族の爵位。アイルランド貴族として3度、連合王国貴族として1度創設され、いずれも廃絶している。

歴史

アイルランド王国の政治家トマス・フォーテスキュー英語版(1683–1769)の息子で同じく政治家のウィリアム・ヘンリー・フォーテスキュー(1722–1806)は1770年5月26日にアイルランド貴族であるラウス県クラーモントのクラーモント男爵(第1期)に、1776年7月23日にラウス県クラーモントのクラーモント男爵(第2期)とクラーモント子爵に、1777年2月10日にラウス県におけるクラーモント伯爵に叙された[1]。このうち、第1期のクラーモント男爵とクラーモント伯爵位は通常通り男系男子のみ継承でき、第2期のクラーモント男爵とクラーモント子爵位は特別残余権(special remainder)が規定され、ウィリアム・ヘンリー・フォーテスキューの男系子孫が断絶した場合は弟ジェームズ・フォーテスキュー英語版(1725–1782)およびその男系子孫が継承できるとした[2]。そして、初代伯爵が死去すると、男系男子のみ継承できる爵位は廃絶、それ以外は特別残余権に基づきジェームズ・フォーテスキューの次男ウィリアム・チャールズ・フォーテスキュー英語版(1764–1829)が継承した[3]。ウィリアム・チャールズ・フォーテスキューも政治家であり、アイルランド庶民院議員と連合王国庶民院議員を務めたが、生涯未婚のまま死去すると爵位は廃絶した[3]

前述のトマス・フォーテスキューの伯父の来孫にあたるトマス・フォーテスキュー(1815–1887)庶民院議員を務めたのち、1852年2月11日にアイルランド貴族であるラウス県ドロミスケンにおけるクラーモント男爵に叙された[4]1800年合同法に基づき、アイルランド貴族爵位の創設には爵位3つの廃絶が必要であり、このクラーモント男爵位はランクリフ男爵、ニュージェント男爵ロスコモン伯爵の廃絶を爵位創設の根拠とした[4]。また、この爵位には特別残余権(special remainder)が定められ、初代男爵の男系男子が断絶した場合はその弟チチェスター・パーキンソン=フォーテスキュー(1823–1898)およびその男系子孫が継承できるとした[4]。トマス・フォーテスキューは1866年5月2日に連合王国貴族であるラウス県クラーモント・パークにおけるクラーモント男爵にも叙され、この爵位は特別残余権が定められなかった[4]

トマス・フォーテスキューが死去すると、第4期のクラーモント男爵位は廃絶、第3期のクラーモント男爵位は特別残余権に基づきチチェスター・パーキンソン=フォーテスキューが継承した[4]。チチェスターは自由党、のち自由統一党所属の政治家であり、アイルランド主席政務官、商務庁長官王璽尚書枢密院議長を歴任して、1874年2月28日に連合王国貴族であるラウス県カーリングフォードにおけるカーリングフォード男爵に叙されたが、彼にも息子がおらず、その死をもってすべての爵位が廃絶した[5]

クラーモント男爵(1770年)

クラーモント男爵(1776年)

クラーモント男爵(1852年)

クラーモント男爵(1866年)

出典

参考文献




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