アンドレ・ジャピー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/11 04:11 UTC 版)
没後
1991年、元教師で児童文学作家の権藤千秋が5年間の調査を経て、この出来事を本に著し『飛べ!赤い翼』[10]を出版した[11]。また2016年には、高樹のぶ子がこのエピソードに着想を得て、恋愛小説「オライオン飛行」[12]を発表している。
1996年には事故地の脊振村(現・神埼市)とジャピーの出身地ボークールが姉妹都市締結をし、以降交流が続いている[13]。
アンドレ・ジャピーの兄弟の子孫であるニコラ・ジャピー(企業家)が副会長を務める「コードロン・シムーン機復元協会」がポントワーズ飛行場でシムーン機を復元作業しており、2023年にフランス国内でテスト飛行とデモンストレーション飛行を行い、パリ五輪が開催される2024年に、アンドレが飛べなかった佐賀東京間のフライトを行なう「赤い翼プロジェクト」が進行中である[5]。
関連書
- 『脊振山の赤い翼―アンドレ・ジャピー機遭難記』馬場憲治 佐賀新聞社 (2016/10/1)
外部リンク
- ^ Le Tramways de Beaucourt : 100e|anniversaire d'André Japy, le 17 juillet 2004)
- ^ Tombe au cimetière de Passy..
- ^ Le 21 août 1935 dans le ciel : L’aviateur Japy vole de Paris à Oslo, aller-retour Air-journal.fr 21 août 2014
- ^ a b c d タメにならない航空史9麗しの熱風矢ケ崎弘志、JHFレポート 9・10月号 平成14年8月20日
- ^ a b パリの日本大使館員がフランスで見つけた日本 103 「赤い翼:パリ-東京」プロジェクト在仏日本国大使館、2022年3月17日
- ^ 『毎日年鑑』昭和13年別冊、p30
- ^ 日本に来たコードロン航空機について 航空歴史館いしぶみ 2015/06/21
- ^ ドレー機の不時着と画家・中村博高知市広報「あかるいまち」2013年5月号
- ^ 戦前日本航空界の英雄 飯沼正明平成 29 年度安曇野検定準備講座 平成 29年7月27日, p4
- ^ 飛べ!赤い翼 : 冒険飛行家ジャピーを救った人びと
- ^ Japanese poem lover : French aviator's aborted but ambitious journey links people 15,000 km apart in Japan and France (2)
- ^ “オライオン飛行”. 講談社. 2021年8月1日閲覧。
- ^ 友好姉妹都市盟約の経緯神埼市
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