「後土御門」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/142件中)

読み方:にんごほうしんのう門跡。後土御門帝第三皇子。永正12年(1515)寂、34才。
読み方:にんごほうしんのう門跡。後土御門帝第三皇子。永正12年(1515)寂、34才。
室町後期の親王。勧修寺門跡。伏見宮貞常親王の四子。後土御門帝の養子。名は常弘。安祥寺寺務。親王宣下を受ける。二品。永正10年(1513)薨御、53才。
主名称: 後柏原天皇宸翰後土御門後柏原両天皇御詠草 指定番号: 896 枝番: 00 指定年月日: 1916.05.24(大正5.05.24) 国宝重文区分: 重要文化財 部門・種別: 書跡・典籍 ト...
第二十三代長吏。伏見宮貞常親王第四子。後土御門帝の養子。名常信後常弘。法名染王院。恒弘親王の室に入りて出家し、宣して親王となる。母は庭田贈一位源重有の女従二位盈子。永正10年(1513)歿、53才。
読み方:ごつちみかどてんのう第百三代天皇。後花園天皇の第一皇子、母は藤原孝長の娘嘉楽門院信子。名は成仁。即位後、まもなく起こった応仁の乱による皇室御領地の押領や、足利義政夫人日野富子らの専横のため皇室...
読み方:ごつちみかどてんのう第百三代天皇。後花園天皇の第一皇子、母は藤原孝長の娘嘉楽門院信子。名は成仁。即位後、まもなく起こった応仁の乱による皇室御領地の押領や、足利義政夫人日野富子らの専横のため皇室...
安楽行院(あんらくぎょういん)は、京都市伏見区深草に存在した寺院。開基藤原通基が現在の上京区に設置し、その後北朝天皇の位牌が安置されていたものの、後に廃絶したとされている持明院(安楽光院)の後身とする...
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 01:49 UTC 版)「天文方」の記事における「天文方の廃止」の解説大政奉還、鳥羽・伏見の戦い後、土御門晴雄は...
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 06:35 UTC 版)「日本の書流」の記事における「宸翰様」の解説宸翰(しんかん)とは天皇の筆跡のことで、鎌倉...
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