ドナウ連邦構想
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/07 15:28 UTC 版)
ドナウ連邦構想(ドナウれんぽうこうそう)とは、オーストリア・ハンガリー・チェコ・スロバキアなどの中央ヨーロッパ(中欧)に位置するドナウ川流域の諸国で連邦国家を構成しようとする構想である。歴史的には民族主義が高揚したハプスブルク帝国末期から論じられるようになり、これまでに多種多様な地域統合案が生み出されている。
注釈
- ^ ハンガリーの周辺民族はオーストリア(ドイツ人)を除いてほぼスラヴ系であり、オーストリアとの絶縁はスラヴ系のなかでハンガリーが孤立することを意味した。東方のルーマニア人は非スラヴ系民族であるが、当時のルーマニアはトランシルバニア地方がオーストリア領だったものの、それ以外の領域はオスマン帝国の属国となっていた。
- ^ フランツ・フェルディナント大公がベルヴェデーレ宮殿に居を構えていたことに由来する。シェーンブルン宮殿の老帝とベルヴェデーレ宮殿の皇位継承者との間には大きな見解の相違があった。1910年3月にカール・レンナーは議会において、「われわれはもはや君主政体、ひとりの君主など持っておりません。二頭政治の状態、シェーンブルン宮殿と、ベルヴェデーレ宮殿とのあいだの競争状態にあります」と述べている[6]。
出典
- ^ a b 羽場(1984) p.7
- ^ a b c d e 羽場(1984) p.8
- ^ a b 羽場(1984) p.9
- ^ a b c d 森(2013) p.107
- ^ a b グリセール=ペカール(1994) p.99-100
- ^ 馬場(2006) p.23
- ^ 福田(2012) p.53
- ^ a b c d e f g 福田(2012) p.54
- ^ a b c d 福田(2012) p.56-57
- ^ a b c d 羽場(1984) p.22
- ^ グリセール=ペカール(1994) p.250
- ^ a b 福田(2012) p.71
- ^ ジェラヴィッチ(2004) p.206
- ^ ジェラヴィッチ(1994) p.207
- ^ ジェラヴィッチ(1994) p.208
- ^ a b c 福田(2012) p.45-46
- ^ 福田(2012) p.69
- ^ a b 福田(2012) p.55
- ^ 羽場(1984) p.23
- ^ a b c d e 羽場(1984) p.31
- ^ a b c d e f 福田(2012) p.70
- 1 ドナウ連邦構想とは
- 2 ドナウ連邦構想の概要
- 3 脚注
- 4 外部リンク
- ドナウ連邦構想のページへのリンク