バディ・ホリーとは? わかりやすく解説

バディ・ホリー

(BUDDY HOLLY から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 10:24 UTC 版)

チャールズ・ハーディン・ホリーCharles Hardin Holley1936年9月7日 - 1959年2月3日)は、バディ・ホリーBuddy Holly)の名で知られるアメリカ合衆国シンガーソングライター。1956年から1959年にかけてザ・クリケッツ英語版を率い音楽活動を行っていた。1959年にリッチー・ヴァレンス、ザ・ビッグ・ボッパーと共に搭乗した小型機の墜落事故により死去。テックスメックスと呼ばれる独特のサウンドと黒縁メガネのルックスは後世のロック・グループに強い影響を与えた。1986年にロックの殿堂入り。


注釈

  1. ^ 石油、酪農を主産業とする
  2. ^ 「Down the River Of Memories」を歌唱、賞金5ドルを得る
  3. ^ テープ・レコーダーの前身。ワイヤーに帯磁させ録音・再生を行う原理はテープと同じ
  4. ^ 1948年Hank Snowデビュー曲 「My Two-Timin 'Woman」
  5. ^ Jack Neal (1934〜2015) 1949年当時13歳のBuddyと出会う。1953年Buddy & Jackのコンビを組みKDAV「サンデー・パーティ」への出演、アセテート盤の制作を行う
  6. ^ この時期のステージではバディが一人でパフォーマンスする事があった
  7. ^ 翌15日同ステージにエルヴィス・プレスリー出演、バディ&ボブが前座
  8. ^ 一般に市販されるビニールレコードと素材が異なりアルミニウムの円盤にニトロセルロースラッカーをコーティングしたもの。プロユースの録音、放送での使用を目的とする。
  9. ^ このアセテート盤は現在所在不明。タイトルも分っていいない。
  10. ^ この地区は通称ミュージック・ロウと呼ばれナッシュビル音楽関係の主要なレーベル、出版社、スタジオが集中する
  11. ^ Jim Denny(1911〜1963)1946年WSMの局長に就任。1951年グランンド・オル・オープリーのゼネラルマネジャーに。1954年ウェッブ・ピアスと共同で音楽出版社シダー・ウッド・ミュージック設立。1966年演奏者以外の人物として最初のカントリー・ミュージックの殿堂入り。
  12. ^ Paul Cohen (1908〜1970)シカゴ生まれ。1920年代後半コロンビアの元でレコード・ビジネスに参入。1934年デッカ・レコードの設立に伴い入社、1935年シンシナティへ移住、デッカ中西部支店長に就任。1958年デッカ退社後自身のレーベルToddを立ち上げ、1964年Kappのカントリー部門責任者に。1970年死去。葬儀の際ミュージック・ロウは故人の追悼のため封鎖された。
  13. ^ 作曲者にノーマン・ペティも名を連ねるが原文に基づいた。ペティのこの作曲に対する関与は懐疑的な意見が多い。
  14. ^ ジェリー・アリソンは後のインタビューで「その時は誰がブラッドリーで誰がコーエンなのか分りませんでした」と答えている。表現が曖昧なのはそのため。
  15. ^ 人々をハッピーにさせる音を奏でる、という意味が込められていた
  16. ^ Cindy Louは ホリーの姪の名前
  17. ^ Peggy Sue Gerron(1940〜2018)は当時のジェリー・アリソンのガールフレンド。後二人は結婚する。
  18. ^ エレクトリック・ギターに複数のピック・アップがマウントされる場合、リズム/ソロの切り替えスイッチがボディ・トップに搭載される
  19. ^ Dean Barlow & the Crickets 1953年MGMから「Milk and Gin」でデビュー、同年Jay-Deeへ移籍。1954年Beaconリリース「Be Faithful」がヒット。1955年メイン・ヴォーカルDean Barlowがソロに転向。
  20. ^ バディのキャリア中、他名義のレコード制作はこの3枚のみ
  21. ^ Ivan 「Real Wild Child /Oh You Beautiful Doll」Coral 9-62017 1958年7月11日発売
  22. ^ Lou Giordano 「Stay Close To Me /Don't Cha Know 」Brunswick 9-551151959年2月発売
  23. ^ Acuff-Rose Music 1942年Roy Acuff、Fred Roseの共同によりテネシー州ナッシュビルに設立された音楽出版社。作曲家に対する誠意をモットーとし、契約や法律に無知な作家に対する不当な搾取が横行していた当時の音楽ビジネス界に一石を投じる。1954年フレッド・ローズ死去、息子ウェズリーが社長に就任。
  24. ^ Waylon Jennings 「Jole Blon /When Sin Stops 」Brunswick 9-55130 1959年5月発売
  25. ^ ピディアン・テンプルは1927年友愛団体「ナイツ・オブ・ピティアス」の集会場所としてN.Yに建造されたビルディング。1941年からデッカがスタジオとして所有。広いフロアと高い天井を持つ講堂をスタジオに改造したため反響の強いライブな環境を特徴とした。
  26. ^ Dick Jacobs(1928〜1988)バンドリーダー、作曲家、アレンジャー、A&Rマン。1950代から60年代にかけ主にデッカ系列の録音に携わった。「Main Title」「Molly-O」 (共に1956年)のヒット曲を持つ。 Buddy Hollyの他 Jackie Wilson 、Bobby Darin の録音をサポート。 この日(10月21日)自己のオーケストラを率いプロデュース、編曲を担当した。
  27. ^ この項正確な日時は不明。前後関係から1958年暮れの出来事と思われる。関係者のほとんどが故人となった現在、特定の人物を中傷する目的は無い。個々の視点により見解は分かれる。All Musicではロイヤリティに関し「当時の音楽界でよく行われた悪しき慣習」としつつペティによるバディの成功への貢献を最大限に評価している。
  28. ^ N.Yグリニッチビレッジ11番街5丁目。英語圏での「アパート」は日本におけるマンション規模の住宅にあたる。
  29. ^ ギブソン社製アコースティック・ギターJ-200
  30. ^ 1957年9月オクラホマで録音されたのは「メイビー・ベイビー」のためペティの記憶違いと思われるが原文をそのまま引用した
  31. ^ Tommy Allsup (1931〜2017) オクラホマ生まれ。1958年7月バディ・ホリーの録音に参加しキャリアをスタート。1960年代以降セッシュン・ミュージシャンとしてRonnie Smith, Roy Orbison, Willie Nelsonらの録音に参加。The Ventures 「Guitar Twist」の作曲者としても知られる。
  32. ^ Carl Bunch (1939〜2011) テキサス州ビッグスプリング生まれ。キャリア初期「Ronnie Smith and the Poor Boys」に在籍。1956年ノ・ヴァ・ジャック・スタジオ録音の際バディと知己を得る。1960年代以降Bob Osburn バンドを経てHank Williams Jr、Roy Orbisonらと共演。晩年バディ・ホリーのメモリアル式典に出席した際自ら「凍傷したクリケット」とサインした。
  33. ^ Ritchie Valens, J.P. “The Big Bopper”, Dion and the Belmonts, Frankie Sardo
  34. ^ 1933年アイオワ州クリアレイクに開業した音楽施設。2,100の客席と広いダンスフロアを持つ。2009年ロックの殿堂指定歴史的建造物。1979年から毎年2月に追悼コンサートが催されている。
  35. ^ これに対し当局は不慮の事故に際し親族への連絡を優先にし、それまでは実名報道を控える方針を決める。
  36. ^ 煩雑を避ける為「Buddy Holly」「The Crickets」名義を区別せず記載した。4曲入りEP、再発盤、1970年以降のシングルは割愛。バディの死後Coral、Libertyからリリースされた(バディ不在の)クリケッツのシングルは除外した。
  37. ^ 1976年7月1日ポール・マッカトニーはバディ・ホリーの楽曲著作権を買い取る
  38. ^ 原則としてリリース国を表記。複数国発売の場合ミュージシャンの出身国を優先した。
  39. ^ Phil Ochsはアメリカ出身。カーネギーホールのライブ盤はカナダA&Mからリリースされた。
  40. ^ 『Gunfight at Carnegie Holl』収録
  41. ^ 『Oh Buddy Holly』収録
  42. ^ 『Rubettes』収録
  43. ^ 『Step Two』収録
  44. ^ 『Are You Ready For The Country』収録
  45. ^ エディ・コクランはアメリカ出身。本トラックは1959年録音、当時未発表となっていたが1966年英リバティーからシングルカットされた。
  46. ^ 1955年4月23日アデア・ミュージックでセールスマン、クライド・ハンキンズからレス・ポールを下取りにしストラトキャスターを305ドルで購入
  47. ^ ギターのネックには弦の張力による反りが生じるため指板とネックの間にトラスロッド(金属製の棒)を仕込みヘッドもしくはエンド側から調整を行う
  48. ^ FAOSA 他の愛用者にはロイ・オービソンフィデル・カストロなどが知られる

出典

  1. ^ a b c d Eder, Bruce. Buddy Holly | Biography & History - オールミュージック. 2021年7月22日閲覧。
  2. ^ Tobler, John (1979). The Buddy Holly Story. Beaufort Books. ISBN 0-8596-5036-7 
  3. ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Buddy Holly”. 2013年5月26日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 「THE BUDDY HOLLY STORY」John Beecher/Malcolm Jones共著1979年MCA原盤 LP
  5. ^ a b c d e f g h JACK HODJIN BOOKS「The True King Buddy Holly」2017年
  6. ^ Elvis Presley & Buddy Holly …Contrasts and Comparisons
  7. ^ a b c d 45cat.com Buddy Holly - Discography
  8. ^ Buddy Holly and the Crickets
  9. ^ a b musicvf.com/ Buddy Holly Top Songs
  10. ^ Discovermusic.jp/バディ・ホリー VS ボビー・ダーリン「Early In The Morning」
  11. ^ beatlesmagazineuk.com/the influence of buddy holly on the beatles
  12. ^ John Lennon on Buddy Holly
  13. ^ ザ・ローリング・ストーンズ全米最初のシングル「Not Fade Away」はボ・ディドリーを取り入れたバディ・ホリーのカヴァー
  14. ^ コオロギから生まれたカブトムシ
  15. ^ Buddy Holly remembered NME
  16. ^ Duluth Armory Buddy Holly Performance Inspired Bob Dylan
  17. ^ a b BUDDY HOLLY A COLLECTORS GUIDE Bill Griggs & Jim Black共著 RED WAX PUBLISHING 1983
  18. ^ a b 45cat
  19. ^ buddy the musical.com
  20. ^ Buddy Holly’s Les Paul
  21. ^ Buddy Holly, The Crickets Guitarist Gear
  22. ^ Buddy Holly’s glasses, lost since his death in 1959, are found in Mason City, Iowa
  23. ^ The Strange Case of Buddy Holly's Final Pair of Glasses






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