鹿地亘とは? わかりやすく解説

鹿地亘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/08 11:27 UTC 版)

鹿地 亘(かじ わたる、本名:瀬口貢(せぐち みつぎ)、1903年5月1日 - 1982年7月26日)は、日本小説家大分県西国東郡岬村(現・豊後高田市)出身。東京帝国大学国文科卒業、東京帝国大学大学院博士課程修了[1]。妻は池田辛子。


  1. ^ a b c d 20世紀日本人名事典
  2. ^ 鹿地亘「日本兵士の反戦運動」同成社 (1982/10)、同編「反戦資料」
  3. ^ a b c d e 法政大学大原社会問題研究所編著 『日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動The Labour Year Book of Japan special ed.』1965年10月30日、労働旬報社刊。第四編 治安維持法と政治運動第三章 中国における日本人の反戦運動第一節 国民党地区 法政大学大原社会問題研究所、2000年2月22日公開。2016年10月15日閲覧。
  4. ^ 倉前盛通「悪の論理」  (日本工業新聞社、1979年、角川書店 (1980)
  5. ^ 加藤哲郎「『野坂参三・毛沢東・蔣介石』往復書簡」『文藝春秋』2004年6月号
  6. ^ 青山和夫の著書に『謀略熟練工』妙義出版 1957、『反戦政略 中国からみた日本』三崎書房 1972
  7. ^ 「米軍人には強制できぬ 証人喚問」『朝日新聞』、1952年12月24日、朝刊、7面。
  8. ^ 「鹿地監禁は知っていた 斉藤長官答弁」『朝日新聞』、1953年1月27日、朝刊、1面。
  9. ^ 「強制された”自供書”鹿地氏 米大使館の覚書に反論」『朝日新聞』、1953年1月28日、朝刊、7面。
  10. ^ 「行きづまった鹿地事件」『朝日新聞』、1953年1月18日。
  11. ^ 「鹿地被告、逆転無罪」『読売新聞』、1969年6月26日。


「鹿地亘」の続きの解説一覧




鹿地亘と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鹿地亘」の関連用語

鹿地亘のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鹿地亘のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鹿地亘 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS