高山樗牛
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高山 樗牛(たかやま ちょぎゅう、1871年2月28日〈明治4年1月10日〉- 1902年〈明治35年〉12月24日)は明治時代の日本の文芸評論家、思想家。東京大学講師。文学博士。明治30年代の言論を先導した。本名は林次郎(りんじろう)。
- ^ 「滝口入道の作者は高山樗牛」1894年4月17日読売新聞『新聞集成明治編年史. 第九卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “東京ゲーテ記念館”. goethe.jp. 2022年6月15日閲覧。
- ^ 谷沢永一「鴎外樗牛対立期」『樟蔭国文学』第17巻、大阪樟蔭女子大学、1979年10月、1-10頁。
- ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)187頁
- ^ 色川大吉『明治精神史』講談社〈講談社学術文庫〉、1976年、133-134頁。 上巻 ISBN 4061580191、下巻 ISBN 4061580205
- ^ 色川大吉 1976, p. 128-129.
- ^ 受賞者を発表『中外商業新報』大正15年3月12日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p181 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ “奨励賞に3人選ばれる 鶴岡 高山樗牛賞4年ぶり該当なし”. 荘内日報社 (2022年-11-02). 2023年7月29日閲覧。
- ^ 戒名はなく墓碑も俗名『東京日日新聞』昭和2年7月26日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p4 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
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