韓完相
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韓 完相(ハン・ワンサン、朝鮮語: 한완상、1936年3月18日[1][2] - )は、大韓民国の教育者、政治家、公務員。ソウル大学校の副教授、教授を経て、尚志(サンジ)大学校総長、副総理(부총리)兼統一院長官などを歴任した。本貫は清州韓氏[3]。忠清南道唐津郡(現在の唐津市)で生まれた。
- ^ a b “金大中政権閣僚人事”. 東京大学東洋文化研究所. 2007年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月21日閲覧。
- ^ 3月5日とする記述もある。
- ^ “(10)청주 한씨(淸州韓氏)-642,992명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年7月6日). 2022年8月16日閲覧。
- ^ a b 清水敏行「韓国における市民団体経歴保有者について」『札幌学院法学』第21巻第1号、札幌学院大学、2004年、311頁。
- ^ a b c d 小田川興 (1993年2月27日). “韓完相氏 副首相兼統一院長官に就任する(ニュースの顔)”. 朝日新聞・朝刊: p. 7 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 小田川興 (1993年2月26日). “軍人排し新顔起用 韓国の金新政権、大胆な人事<解説>”. 朝日新聞・夕刊: p. 2 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 小林(慶) (1984年8月13日). “韓国、1700人に恩赦 在日韓国人政治犯も減刑・釈放”. 朝日新聞・夕刊: p. 1 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 前川恵司 (1993年2月26日). “安企部長に大学教授 内閣には女性閣僚3人 韓国新政権主要ポスト”. 朝日新聞・夕刊: p. 1 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ a b 金栄鎬「韓国の北朝鮮政策の変化:1988-1994年 —「民族」の利益、「国家」の正当性、国内政治」(PDF)『アジア研究』第48巻第4号、アジア政経学会、2002年、19-20頁、2013年5月21日閲覧。
- ^ 小林慶二「北朝鮮指導部は一族総動員体制 日韓共同取材・南北関係」『アエラ』1994年2月14日、22頁。 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 清田治史 (1993年12月22日). “韓国、実務型に内閣改造 副首相ら14人交代 在野出身は大幅減”. 朝日新聞・朝刊: p. 9 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 清田治史 (1996年5月31日). “育つか韓国の融和の芽 食糧危機の中、孤立抜け出せぬ北朝鮮”. 朝日新聞・朝刊: p. 4 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 小菅幸一 (2001年1月30日). “韓国政府に「女性省」 内閣改造”. 朝日新聞・朝刊: p. 7 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 箱田哲也 (2001年4月12日). “韓国政府が対策班設置 日本の歴史教科書問題”. 朝日新聞・朝刊: p. 3 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 箱田哲也 (2001年6月20日). “日本の歴史教科書修正に「職かける覚悟」 韓完相・韓国教育相”. 朝日新聞・朝刊: p. 4 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 山本裕人『ありのままの韓国』文芸社、158頁。
- ^ “韓完相韓赤総裁、北朝鮮の竜川小学校を訪問”. 東亜日報 (2005年6月25日). 2013年5月21日閲覧。
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