鈴木則子 (中国残留婦人)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/16 07:50 UTC 版)
鈴木 則子(すずき のりこ、1928年12月19日[1]-2011年1月26日[2][3])は、元中国残留婦人。NPO法人「中国帰国者の会」を設立、亡くなるまで会長を務めた。2011年、肺がんのため死去。享年82歳[2][4]。
- ^ 小川津根子 (2005-12-6). 国に棄てられるということ 「中国残留婦人」はなぜ国を訴えたか. 岩波ブックレットNo.666. 岩波書店. p. 43
- ^ a b c d e f “(惜別)「中国帰国者の会」会長・鈴木則子さん つらい経験語り、残留婦人の先頭歩く”. 朝日新聞・夕刊. (2011年4月9日)
- ^ kikokusha-nisshi (1299423600). “鈴木会長のお別れの会” (日本語). 活動日誌(中国帰国者の会). 2019年12月7日閲覧。
- ^ a b “鈴木則子さん(NPO法人「中国帰国者の会」会長)死去”. 読売新聞・夕刊. (2011年1月27日)
- ^ a b c d “鈴木則子さん 東京弁護士会第3回人権賞を受賞(ひと)”. 朝日新聞・朝刊. (1989年3月24日)
- ^ 小川津根子 (1995). 祖国よ-「中国残留婦人」の半世紀. 岩波書店[要ページ番号]
- ^ 小川津根子、石井小夜子『国に棄てられるということ 「中国残留婦人」はなぜ国を訴えたか』岩波書店〈岩波ブックレットNo.666〉、2005年12月6日、47頁。
- ^ a b 小川津根子; 石井小夜子 (2005). 国に棄てられるということ. 岩波書店[要ページ番号]
- ^ “東京弁護士会人権賞|東京弁護士会の主な活動|東京弁護士会を知る|東京弁護士会”. www.toben.or.jp. 2019年12月7日閲覧。
- ^ “2団体1個人が受賞 東京弁護士会人権賞”. 読売新聞・朝刊. (1988年12月2日)
- ^ “動かぬ国に「最後の手段」 中国残留孤児ら賠償提訴へ 【西部】”. 朝日新聞・朝刊. (2001年11月29日)
- 1 鈴木則子 (中国残留婦人)とは
- 2 鈴木則子 (中国残留婦人)の概要
- 鈴木則子 (中国残留婦人)のページへのリンク