金英男
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金 英男(キム・ヨンナム、김영남、1961年6月25日[1] - )は、大韓民国全羅北道出身の人物。1978年8月5日、全羅北道群山沖の自宅近くの島へ海水浴に出かけたまま失踪[2]。当時、16歳の高校1年生[2]。現在は、北朝鮮の特殊機関に勤務しており、南北統一のための仕事をしているという。
注釈
- ^ キム・ウンギョンについては幼名がキム・ヘギョンだと説明された[3]。
- ^ キム・ヘギョン(キム・ウンギョン)については、2002年10月2日に日本の政府調査団が持ち帰った彼女の血液と、横田滋・横田早紀江の血液、さらに横田めぐみの臍帯をDNA鑑定したところ、同年10月24日、ヘギョンとめぐみとの間の親子関係に矛盾がないとの最終的な鑑定結果報告がなされた[5]。
- ^ 「北朝鮮の船に助けられた」と述べて拉致疑惑の当人が拉致を否定するのは、寺越事件の寺越武志のケースと同様である。
- ^ 北朝鮮発表ではすでに死んでいるはずの1997年、当時の橋本龍太郎内閣の中枢にあった人物が金正日の側近から「めぐみ生存」を非公式に伝えられている[13]。北朝鮮の工作員だった安明進も1997年以降、金正日政治軍事大学で語学教官だった横田めぐみを何度も目撃したと証言している[14]。安はまた、2003年、複数の工作員情報として「金正日一家の家庭教師役として宮殿に移った」と証言しており、指導者の内実まで知ってしまった彼女を殺すはずがない。いまも宮殿内で生きていると断言した[13]。2011年、韓国自由先進党議員の朴宣映が脱北者から得た北朝鮮高官の話として「横田めぐみは生存しており、知ってはいけないことを知りすぎたため日本に帰すことができず、他人の遺骨を日本側に渡した」との証言を日本政府に伝えた[15][16]。また、週刊朝鮮の報道によって2005年に作成された北朝鮮平壌市民名簿に横田めぐみとみられる記載があったことも確認されている [17]。
- ^ 2002年10月25日にフジテレビが日本国内に流したインタビュー報道では、キム・ヘギョン(キム・ウンギョン)は「おじいさん、おばあさんに会いたい」と涙を流していた。2014年(平成26年)、キム・ウンギョンと横田めぐみの両親(横田滋・横田早紀江)のモンゴルでの面会が実現している[18]。
出典
- ^ a b c 衆議院. “第164回国会 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会”. 衆議院会議録(2006年5月29日). 2021年9月15日閲覧。
- ^ a b c d 西日本新聞. “金英男さん拉致”. 西日本新聞me. 2021年9月15日閲覧。
- ^ a b 朝日新聞社. “「会いたい」提案は反対された 滋さんが抱く孫への思い”. 朝日新聞デジタル(2020年6月28日). 2021年9月15日閲覧。
- ^ a b 東奥日報. “横田(よこた)めぐみさん拉致”. web東奥. 2021年9月15日閲覧。
- ^ 『家族』(2003)p.61
- ^ KBSニュース9(2006年6月28日)(韓国語)
- ^ MBCニュースデスク(2006年6月28日)(韓国語)
- ^ SBS8ニュース(2006年6月28日)(韓国語)
- ^ KBSニュース9(2006年6月29日)(韓国語)
- ^ MBCニュースデスク(2006年6月29日)(韓国語)
- ^ SBS8ニュース(2006年6月29日)(韓国語)
- ^ 朝鮮日報. “金英男の漂流…地元漁民「あり得ない話」”. 朝鮮日報JNS(2006年7月1日). 2020年6月5日閲覧。
- ^ a b 『祈り 北朝鮮・拉致の真相』(2004)pp.76-77
- ^ 『祈り 北朝鮮・拉致の真相』(2004)pp.75-76
- ^ 「めぐみさん生存」=脱北者証言 韓国議員が公開(2011年10月9日、聯合ニュース)
- ^ 04年末、めぐみさん生存情報=「知りすぎて帰せない」-韓国議員(2011年10月9日、時事通信社)
- ^ 産経新聞社. “生存情報に「一筋の光」 神奈川・黒岩祐治知事”. 産経新聞(2011年11月13日). 2020年6月5日閲覧。
- ^ 日本放送協会. “横田滋さん死去 87歳 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親”. NHKニュース. 2020年6月5日閲覧。
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