赤坂海岸とは? わかりやすく解説

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赤坂海岸

読み方:アカサカカイガン(akasakakaigan)

所在 福岡県北九州市小倉北区

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒802-0031  福岡県北九州市小倉北区赤坂海岸

赤坂 (北九州市)

(赤坂海岸 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/05 13:39 UTC 版)

赤坂(あかさか)は、福岡県北九州市小倉北区の地名。現行行政町名としては赤坂1丁目-5丁目および北に隣接する赤坂海岸(あかさかかいがん)がある。現在は閑静な住宅地だが、古くは赤間関(本州)との渡し場であり、また豊前小倉藩の鬼門(東北)の守りである延命寺の門前町としての性格も持っていたため、江戸時代まで大いに繁栄した。


  1. ^ 室町時代守護大名大内政弘は1487年(文明19年)、「赤間関・小倉・門司・赤坂のわたりちんの事」という文書を出した。内容は「せき(赤間関)と小倉三文、せきと門司一文、せきと赤坂二文、よろいからびつ十五文、長からびつ十五文、馬一匹十五文、こし一挺十五文、犬一匹十文」というものだった。
  2. ^ 読売新聞九州発延命寺 小倉藩~町と人々
  3. ^ 小倉藩は小笠原宗家。小笠原長行は小笠原忠脩の子孫。忠脩は初代小笠原小倉藩藩主小笠原忠真の実兄。忠脩は小笠原宗家当主だったが、大坂夏の陣の際、父秀政とともに戦死した。長行の代においては小倉藩との直接の関係は少ない。
  4. ^ 当時の小倉藩軍の兵力約2,200名のうち、洋式銃隊は2個小隊60名のみだった。
  5. ^ 『北九州市史 近世』 pp.896-899
  6. ^ a b c 『北九州市史 近世』 p.900
  7. ^ a b 『小倉藩家老 島村志津摩』p.51
  8. ^ 『小倉藩家老 島村志津摩』p.74
  9. ^ a b 『北九州市史 近世』 pp.899-901
  10. ^ a b 『小倉藩家老 島村志津摩』p.53
  11. ^ a b 『北九州市史 近世』 pp.901-902
  12. ^ 『小倉藩家老 島村志津摩』pp.57-58
  13. ^ 赤坂で戦死した熊本軍兵士の墓は、大正時代に再建された延命寺の境内に、今も祀られている。
  14. ^ 山田鵬輔ら奇兵隊戦死者の墓は、下関が見渡せる赤坂の小高い丘陵(赤坂山、弾正山)にある(長州奇兵隊戦士墓)。


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