西條照太郎
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西條 照太郎(さいじょう しょうたろう、1902年9月6日 - 1980年2月29日)は、日本の脚本家。本名は土屋 可義(つちや ありよし)で、牧野省三のもとで脚本家としてデビュー後、このほか西条 章太郎、西条 栄(-さかえ)、木下 藤吉(きのした とうきち)、波多 謙治 / -謙次 / -賢治(はた けんじ)、土屋 欣三(つちや きんぞう)等のペンネームを使い分け、戦後まで活躍した。
- ^ a b c d e f g 立命館大学衣笠キャンパスの「マキノ・プロジェクト」サイト内の「菅家紅葉氏談話」の記述を参照。
- ^ a b raizofan.netサイト内の「西条照太郎」の記述を参照。
- ^ 『日本映画監督全集』(キネマ旬報社、1976年)の「稲葉蛟児」の項(p.220)を参照。同項執筆は滝沢一。
- ^ 赤井祐男・円尾敏郎編『チャンバラ王国極東』(ワイズ出版、1998年 ISBN 4948735914)の記述を参照。
- ^ マキノ雅裕『映画渡世 天の巻 - マキノ雅弘自伝』(平凡社、1977年 / 新装版、2002年 ISBN 4582282016)、初版 p.338-374の記述を参照。
- 1 西條照太郎とは
- 2 西條照太郎の概要
- 3 関連事項
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