西の国のプレイボーイ
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『西の国のプレイボーイ』(英語: The Playboy of the Western World)はアイルランドの劇作家ジョン・ミリントン・シング作の三幕ものの戯曲で、1907年1月26日にダブリンのアビー座で初演された[1]。日本語タイトルには『西の国のプレイボーイ』のほか、『西の国の伊達男』、『西国の伊達男』などがある[2][3][4]。1900年代初頭、アイルランドの西岸、メイヨー県にあるマイケル・ジェイムズ・フラハティのパブを舞台とする芝居である。父親を殺害したと言って故郷の農場から逃げてきた若い男、クリスティ・マホンの物語である。クリスティが逃げてきた先の村の人々は殺人の悪を断罪するよりは、その話をわがことのように楽しむほうに関心を持つ。実際、この話のせいで、フラハティの娘でパブを切り盛りしているペギーン・マイクはクリスティにロマンティックな関心を寄せるようになる。シングはアイルランド人の抒情詩のような話しぶりを称えており、この芝居はアイルランド語の影響を強く受けたアイルランド英語を詩的かつ喚情的に駆使したセリフにより、非常によく知られている。初演時に暴動が発生したことでも有名である。
- ^ Synge (1983), p. vii
- ^ “西の国のプレイボーイ”. 東京国際芸術祭. 2017年1月20日閲覧。
- ^ ジョン・ミリントン・シング『西国の伊達男』山本修二訳、岩波文庫、1939年。ISBN 978-4003225325。
- ^ ジョン・ミリントン・シング『海に騎りゆく者たちほか』木下順二ほか訳、恒文社、2002年。ISBN 978-4770410313。
- ^ "poor girls walking Mayo in their thousands" in Synge (1998)
- ^ Samantha Ellis (2003年4月16日). “The Playboy of the Western World, Dublin, 1907”. The Guardian. 2017年1月20日閲覧。
- ^ a b 甲斐萬里江「解説」、ジョン・ミリントン・シング『海に騎りゆく者たちほか』木下順二ほか訳、恒文社、2002、 ISBN 978-4770410313、pp. 313-333、p. 315。
- ^ 甲斐萬里江「解説」、ジョン・ミリントン・シング『海に騎りゆく者たちほか』木下順二ほか訳、恒文社、2002、 ISBN 978-4770410313、pp. 313-333、p. 316。
- ^ Thomas Conway. “The Druid Story”. The Druid Theatre Company. 2017年1月20日閲覧。
- ^ Old Vic Theatre Archived 10 August 2011 at the Wayback Machine.
- ^ Synge, J. M., translated by Charles H. Fisher. Der Held des Westerlands. 1912, accessed 10 November 2010
- ^ Bourgeois, Maurice John Millington Synge and the Irish theatre p.18
- ^ Taibhdhearc na Gaillimhe Collection, Library, National University of Ireland, Galway
- ^ Buachaill Baire an Domhain Thiar at doollee.com
- ^ The Irish Times (23 March 2006)
- ^ Helen Meany (2007年10月6日). “The Playboy of the Western World”. The Guardian. 2017年1月20日閲覧。
- ^ The Irish Filmography 1896–1996; Red Mountain Press (Dublin); 1996. Page 24
- 1 西の国のプレイボーイとは
- 2 西の国のプレイボーイの概要
- 3 上演史
- 4 参考文献
- 5 外部リンク
- 西国の伊達男のページへのリンク