蓮池透
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蓮池 透(はすいけ とおる、1955年〈昭和30年〉1月3日[1] - )は、日本の政治活動家。1978年に北朝鮮に拉致された蓮池薫の実兄で、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会事務局長を務めた。
注釈
- ^ 太田昌国は、東アジア反日武装戦線のメンバーの支援活動を行ってきた人物[3]。
- ^ 出馬にあたって蓮池は「山本太郎をリスペクトしている」と述べた[5]。なお、「拉致被害者はもうとっくに亡くなっている」と発言した政治家(「パチンコチェーンストア協会」政治分野アドバイザー)の石井一も2021年の衆議院選挙では「れいわ新選組」を応援している。
- ^ 蓮池透は、2003年の時点では「これからも鉄の結束は続く。拉致されたすべての日本人と、その家族を取り戻すまでは、どんな困難があろうとも一つにまとまって進んでいく」と述べており、「多様性」よりも「結束」を強調していた[8]。また、「『拉致した日本人とその家族を全員帰せ。帰さないなら経済封鎖だ』という毅然とした強い意志表示をすべきではないか。日本の意思が曖昧なままでは、他の国も協力しようがないではないか」と述べており、圧力を強化して交渉に臨むという見解はむしろ蓮池自身が強く主張していた持論であった[8]。
- ^ 「圧力」について、ジャーナリスト」の萩原遼は「圧力の偉大さを金正日が証明してくれた以上これに確信を持って正々堂々圧力を行使すべきである」と述べた[9]。また、「運動あってこその交渉である、運動を離れた交渉はただの取引に堕する。小泉首相の最初の訪朝と再訪朝の違いは、ここにある」として、2004年の小泉再訪朝の成果を批判し、当時「家族会」叩きに走った国民に対し、「いずれは真実に目覚める日もくるだろう」との警告を発した[9]。
- ^ 横田めぐみの弟横田拓也は「本当にずっと長い間、そばにいて支援してくださった」と述べて安倍晋三への強い信頼を示しており、横田哲也も「安倍総理・安倍政権が問題なのではなくって、40年以上も何もしてこなかった政治家や『北朝鮮なんて拉致なんかするはずないでしょ』と言ってきたメディアがあったから、ここまで安倍総理・安倍政権が苦しんでいる」として、拉致問題に取り組んでこなかった政治家や、拉致問題を認めてこなかったメディアの存在などの積み重ねが、問題を困難にしていると主張している[12]。
出典
- ^ 2003年6月22日に開催された河合塾による文化講演『わが「奪還」のこだま谺よ、「北」の地平に轟け! 征矢となれ!』冒頭の挨拶より。
- ^ 「私も、被ばくした」――蓮池透が語る、原発労働の実態ITmedia ビジネスオンライン2011年6月7日
- ^ “[映画レビュー]8人の日本人はなぜ三菱に爆弾を投げたのか (ハンギョレ新聞)”. Yahoo!ニュース. 2020年8月23日閲覧。 “東アジア反日武装戦線のメンバーの支援活動を行う太田昌国氏”
- ^ 辻元清美 政治活動20年へ、感謝と飛躍の集い in 東京
- ^ a b “蓮池透氏「太郎さんをリスペクトしている」国政出馬”. 日刊スポーツ 2019年5月31日閲覧。
- ^ “蓮池透氏がれいわ新選組から2回目の出馬を発表 参院選比例代表”. スポーツ報知. 2022年6月10日閲覧。
- ^ “拉致被害者家族会、蓮池透さんの退会決議”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年3月28日). オリジナルの2010年3月31日時点におけるアーカイブ。 2010年3月28日閲覧。
- ^ a b 『家族』(2003)蓮池透「あとがき」pp.398-402
- ^ a b 萩原(2006)pp.274-278
- ^ 「あの蓮池透さんは福島原発でも働いた原子力部長だった」『FLASH』2011年5月10日・17日合併号 光文社(記事前半 はアメーバニュースに掲載)
- ^ “蓮池透氏の著書「冷血な面々」に家族から怒りの声続出!「救出運動の邪魔しないで」「明らかにうそ。講談社も責任を!」”. 産経新聞. (2016年1月31日)
- ^ “めぐみさん弟の横田拓也さん・哲也さん会見に反響 主要紙が取り上げなかった発言とは...”. J-CASTニュース. (2020年6月10日) 2021年12月12日閲覧。
- ^ “https://twitter.com/koseisha_edit/status/1293504828925079552”. Twitter. 皓星社. 2020年8月12日閲覧。 “長らくお待たせしておりました『れいわ一揆 製作ノート』8月31日刊行です。色校正を束見本に巻きました。”
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