萩原遼 (映画監督)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/18 09:26 UTC 版)
萩原 遼(はぎわら りょう、1910年 - 1976年4月3日)は、日本の映画監督、脚本家。第二次世界大戦前の京都にかつて存在した脚本家集団「鳴滝組」に最年少で参加、映画史に名を残す。戦後は東映京都のプログラムピクチャーの名手として知られる。本名-陣蔵(-じんぞう)[2][3]。
- ^ 角野峻也 (2021年7月25日). “<発掘‼ みか話~るど> (23)映画「人生劇場望郷篇 三州吉良港」(西尾市)”. 中日新聞 2021年9月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『日本映画監督全集』(キネマ旬報社、1976年)の「萩原遼」の項(p.310-311)を参照。同項執筆は結束信二。
- ^ a b c d 立命館大学衣笠キャンパスの「マキノ・プロジェクト」サイト内の「菅家紅葉氏談話」の記述を参照。
- ^ 『日本映画監督全集』(キネマ旬報社、1976年)の「山中貞雄」の項(p.427-429)を参照。同項執筆は加藤泰。
- ^ 「秘録まぼろしの新東宝」『映画芸術』no.329 6・8合併月号、映画芸術新社、1979年8月1日、 34頁。
- 1 萩原遼 (映画監督)とは
- 2 萩原遼 (映画監督)の概要
- 3 関連事項
- 萩原遼_(映画監督)のページへのリンク