茂原英雄
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茂原 英雄(しげはら ひでお、1905年[1] - 1967年12月8日[1])は、日本の撮影技師、編集技師、録音技師[2]、実業家である。松竹蒲田撮影所時代の小津安二郎と組んだ技師であり、「茂原式トーキー」とも呼ばれるSMSシステム(スーパー・モハラ・サウンド・システム)の考案者である[3]。茂原研究所代表取締役社長、ラジオ映画監査役を歴任[4]。姓の茂原を「モハラ」と呼ぶのはニックネームである[5]。
- ^ a b c d e f 『日外アソシエーツ whoplus』「茂原 英雄(モハラ ヒデオ,映画技師)」の項
- ^ a b c d e f 茂原英雄、日本映画データベース、2010年3月2日閲覧。
- ^ a b c 『松竹大船撮影所秘話 トーキー映画本格始動 古畳で防音を図り撮影』、森田郷平、神奈川新聞、2006年2月20日付記事。
- ^ a b 発掘された映画たち2005、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年3月2日閲覧。
- ^ Hideo Shigehara, Internet Movie Database, 2010年3月2日閲覧。
- ^ 小津安二郎、日本映画データベース、2010年3月2日閲覧。
- ^ 大学よいとこ、日本映画データベース、2010年3月2日閲覧。
- ^ 一人息子、日本映画データベース、2010年3月2日閲覧。
- ^ 新道 後篇良太の巻、日本映画データベース、2010年3月2日閲覧。
- ^ a b c 茂原システム・茂原式新興フォーン、日本映画データベース、2010年3月2日閲覧。
- ^ a b 児雷也 前篇 妖雲之巻、日本映画データベース、2010年3月2日閲覧。
- ^ a b 淑女は何を忘れたか、日本映画データベース、2010年3月2日閲覧。
- ^ 祐天吉松、日本映画データベース、2010年3月2日閲覧。
- ^ 『映画年鑑 1958』、時事映画通信社、1958年、トビラ広告。
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