若尾逸平
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若尾 逸平(わかお いっぺい、文政3年12月6日(1821年1月9日) - 大正2年(1913年)9月7日)は日本の実業家・銀行家・政治家。貴族院議員、初代甲府市市長。従六位。
注釈
- ^ 『人事興信録 初版』335頁では二男。
出典
- ^ a b 『写真集 明治大正昭和 甲府』ふるさとの想い出 10、飯田文弥・坂本徳一著、図書刊行会、昭和53年、国立国会図書館蔵書、2019年3月22日閲覧
- ^ 内藤文治良(1896 - 1928)は清田村(甲府市)出身の政財界人で若尾家の経営にも携わる一方、地方改良運動に伴う村是の編纂を通じて郷土研究を行っている。
- ^ a b c d e f 甲州見聞記 8.高齢者の多い国、9.若尾逸平の足跡松崎天民、東京朝日新聞 1912.3.23-1912.5.2 (明治45)
- ^ 「若尾逸平君伝」竹内蠖亭編『起業収載明治百商伝』。なお、内藤『若尾逸平』に拠れば逸平は文久2年(1862年)に甲府八日町から山田町へ移ると、愛宕町の借家とともに製糸機械の導入と工女を集め甲府においてはじめてマニュファクチュア(工場制手工業)を開始したとしているが、逸平は翌文久3年時点では生糸出荷を行っておらず慶応3年以降に出荷量が増大していることから(明治元年「御用日記」甲府町年寄坂田家文書)、文久2年の工場開設に関しては否定的見解もある。
- ^ 『根津翁伝』によれば、若尾が根津に語った言葉であるという
- ^ 『官報』第2179号、明治23年10月2日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、5頁。
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