納銭方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 09:50 UTC 版)
納銭方(のうせんかた/なっせんかた)とは、室町幕府が土倉役・酒屋役を徴収するために土倉・酒屋の有力者から任命した徴税委託の機関である[1][2]。土倉役・酒屋役は御料所や段銭・棟別銭などと並ぶ室町幕府の主たる財源の一つであり、明徳4年の制法により年間6,000貫文が納められることが定められた[3][2]。当初は複数の山徒(比叡山延暦寺の衆徒)の土倉(山門土倉)によって構成される土倉方一衆がその任に当たっていたが、次第に生じるようになった戦乱や土一揆による納銭の減少を食い止めようとする幕府は、その役目を山門土倉ではない洛中の土倉・酒屋にも担わせることがあった[4][2]。
注釈
出典
- ^ 桑山(2006) p. 216
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 田中(2001)
- ^ 早島(2006) pp. 50-51, 136
- ^ 早島(2006) pp. 202-203, 214
- ^ 桑山(2006) p. 141
- ^ 桑山(2006) pp. 137-138, 215
- ^ 桑山(2006) pp. 139-141
- ^ 田中(2001)
- ^ 桑山(2006)p. 105
- ^ 天文2年の幕府奉公人奉書案「納銭方事、為厳重御料所之上者、(後略)」(納銭方の事は、厳重の御料所であるので、…)。
- ^ 桑山(2006) p. 144
- ^ 河内将芳「酒屋役」 『日本大百科全書 』(コトバンク)2016年6月閲覧。
- ^ 桑山(2006) pp. 143-144
- ^ 桑山(2006) p. 142
- ^ 脇田晴子「土倉」 『日本大百科全書 』(コトバンク)2016年6月閲覧。
- ^ 早島(2006) p. 51
- ^ 桑山(2006) pp. 140-141
- ^ 桑山(2006) pp. 148-149
- ^ 桑山(2006) pp. 155-157
- ^ 早島(2006) pp. 137-138
- ^ 早島(2006) pp. 139-140
- ^ 早島(2006) pp. 215-220
- ^ 早島(2006) p. 221
- ^ 早島(2006) p. 225
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