第14戦闘飛行隊 (アメリカ空軍)とは? わかりやすく解説

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第14戦闘飛行隊 (アメリカ空軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/03 21:31 UTC 版)

第14戦闘飛行隊
活動期間1942–1945; 1947–1949; 1952–1953; 1966–1975; 1987–現在
国籍 アメリカ合衆国
所属組織 アメリカ空軍
任務敵防空網制圧英語版
基地三沢基地
装備F-16CJ
識別
第14戦闘飛行隊エンブレム [1]
第14写真偵察飛行隊のエンブレム [2]

第14戦闘飛行隊(だい14せんとうひこうたい、: 14th Fighter Squadron)は、アメリカ空軍第35戦闘航空団英語版隷下の戦闘機部隊。青森県三沢基地に1987年から駐留し、戦闘機としてF-16を運用する。

任務

第14戦闘飛行隊は、F-16CJ戦闘機を用いて敵防空網制圧英語版 (Suppression of Enemy Air Defence, SEAD) を行う[3]

歴史

第14戦闘飛行隊は第二次世界大戦中、第14写真偵察飛行隊として創設された。アメリカ本土での訓練ののち、ヨーロッパで戦闘偵察任務に従事した。1944年5月31日から6月末までのフランスでの任務により、特別部隊賞を受賞。ノルマンディー侵攻作戦であるオーヴァーロード作戦や、オランダ空挺攻撃作戦のマーケット・ガーデンを支援するために出撃した。また戦後はドイツで爆撃被害調査を行い、1945年12月、アメリカに帰国し部隊活動は休止となった。

1947年11月には、ニューヨーク州のビンガムトンで同年6月まで予備役の偵察部隊として務め、1952年から1953年に朝鮮戦争に招集された飛行隊と交代するまで、ニューヨーク州のミッチェル空軍基地英語版で兵員輸送部隊として活躍した。

1967年4月に偵察任務に復帰した同飛行隊は、テキサスでの訓練の後、ウドーン・タイ王立空軍基地(現在のウドーンターニー国際空港)に移動し、1967年11月から1973年8月まで東南アジアで戦闘任務に就き、2度の大統領殊勲部隊章を受けた。1971年の一時期は、東南アジアで唯一の偵察飛行隊であったものの、1975年6月、米国の東南アジアからの撤退に伴い、1987年の三沢基地への配備まで活動を休止した。

脚注

注釈

  1. ^ F-16C ブロック50 登録番号 92-3892。2006年6月24日に撮影.

出典

  1. ^ Factsheet 14 Fighter Squadron (PACAF)”. Air Force Historical Research Agency (2016年10月11日). 2021年5月19日閲覧。
  2. ^ Maurer, Combat Squadrons, pp.79–80
  3. ^ “Broadbent, Sir George (Walter), (23 April 1935–20 May 1992), Squadron Leader, Royal Air Force”. Who Was Who (Oxford University Press). (2007-12-01). https://doi.org/10.1093/ww/9780199540884.013.u171341. 



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