秋田騒動とは? わかりやすく解説

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秋田騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/16 14:32 UTC 版)

秋田騒動(あきたそうどう)は、1757年宝暦7年)に久保田藩(秋田藩・佐竹藩)で発生した銀札と言われる銀の兌換券を原因とする騒動のこと。秋田騒動によって銀札の兌換を担当した商家の多くは潰れ、銀札推進派の藩士らが切腹などの処分を受けた。


注釈

  1. ^ 大失敗の原因には贋札の横行が理由の一つとしてあげられる。古記録には半分が贋札とするものさえあった。宝暦4年の10月には早くもニセ銀札が市中に出回った。犯人として医師の次藤元伯が共謀の2人とともに逮捕されている。しかし、偽造犯はこの一味だけではなかった。銀札の発行枚数は宝暦7年6月8日までに82229貫余、そこから7月10日までに13950貫目という膨大な額だった。(『秋田貨幣史』、佐藤清一郎、1972年、p.50,128)
  2. ^ 新屋や土崎港での捜索では銀220貫目、金150両と米を押収している。(『秋田貨幣史』、佐藤清一郎、1972年、p.49)
  3. ^ 真壁は25年後の天明元年に佐竹義敦の代に執政加談として再雇用されている。
  4. ^ 切腹は山方助八郎(家老)、小野崎源左衛門(用人)、大島左仲(膳番)、三枝仲(膳番)、信太弥右衛門(膳番)、大久保東市(用人)、川又善左衛門(銀札奉行)、白土奥右衛門(銀札奉行)で、斬罪が野尻忠三郎(兵具頭)親子であった。また、家老の梅津外記は蟄居であった。那珂忠左衛門は庶民に下され引き回しの上処刑された。
  5. ^ 『秋田杉直物語』は著名がないが、馬場の『頃日全書』(『未刊随筆百種』収録)の序に「往年、厳秘、要秘の両禄密秘より、武野俗談、江戸著聞集、龝田すぎ等の珍談を数編撰みて、今世に専ら流布す」とあることによる。このことは、三田村鳶魚が『列侯深秘録』(国書刊行会)で指摘している。
  6. ^ 海音寺潮五郎は『列藩騒動録(上)』の「秋田騒動」(p.332 文庫版)で、「これは恐らく、秋田名物の蕗と那珂の才気をからませた文耕の小説であろう」としている、また高橋圭一は『実録研究』(p.39)で「秋田名産の蕗を使った、有り体に言ってたわいのない話である。時代も御家騒動の起こる遙か以前に遡っている。これは文耕の創作と見て、まず間違いないであろう」としている。その論拠として『秋田蕗のはなし展図録』(秋田市立赤れんが郷土館編集発行、平成9年)から「秋田蕗に関する文献には必ずといってよいほどこの話が登場してくるが、これは『秋田県沿革史大成』のなかでの記述が元になっていると思われる」という文と、さらにその出典の元として「『秋田杉直物語』が最初ではないかと思われる」という文書を引用している。しかし、1800年(寛政12年)に書かれた長木沢村(現大館市)の『郷村史略』(大館史編さん資料 第四集、昭和47年、p.52)に「寛政元辰年 長木澤より葉乗掛桐油程の山蕗を取て可上と 拠人(秋田藩で藩境を巡回した役人)阿部重右衛門ニ被仰付 十(ママ)右衛門山中に入て尋る事七日 二本を得たり 一本ハ一尺二寸廻り 長一丈二尺 一本ハ八寸廻り長同し 古今ある事なき蕗の由 献之 其後見る事なし 誠ニ神助に依て有しならんといふ 右は権之助日記ニ見へたり」とある。また、石井忠行は『伊頭園茶話』(『新秋田叢書』8巻、今村義孝監修、1972年、p.366、『新秋田叢書』9巻、p.197)にも同様な記事があるが、重右衛門の孫は権太郎で、彼の日記に記述があるとしている。また、仙北地方でも蕗を探索したという記録が残っている。大深岳から流れる大深沢は巨大な秋田蕗の産地で、畳2枚ぐらい大傘を広げたものがあり、田沢村の山守が大きな物を切って佐竹公に献上したという。佐竹義峰が長木沢と大深沢から大蕗を取り寄せたとの記録がある。(千葉治平『ふるさと博物誌』、三戸喜美子、1988年、p.15)
  7. ^ この事件は「徳川実紀」では延享4年(1747年)8月15日であるが、このころは義真はまだ藩主になっておらず、『羽陰略記』などにも記載がない。(『列藩騒動録(上)』、海音寺潮五郎、p.338(文庫版))
  8. ^ 相馬叙胤は佐竹家の血筋だが、その子の相馬尊胤は養子なので佐竹家の血が流れておらず、そもそも論争になるのはおかしい。(『列藩騒動録(上)』、海音寺潮五郎、p.350-351(文庫版))
  9. ^ 老中堀田は文耕の作品中で何度もやり玉に上がっている。彼の『当時珍説秘録』では、堀田は収賄によって政治を私する人物として描かれている。阿部対馬守から奏者番の役職と引替に八重篝の茶入を所望したこと、酒井左衛門尉が堀田家へ毎晩や夜食料として金三両贈ったところ、老住職を仰せ付けられたこと等々
  10. ^ 書名の『直物語』とは、この真っ直ぐな性格だった義明を題につけたものである(高橋圭一『実録研究』、p.45)。秋田からの使者生田辺喜内と、帰国する佐竹山城が出会った際、生田辺は公務であるからと乗り打ちする。那珂は生田辺をとがめようとするが、寛仁大度の義明に救われるというエピソードが『秋田杉直物語』に記されている。
  11. ^ 平元(作中では平本)茂助は史実では能代奉行であったが、能代での銀札通用を禁止している。凶作でもあるし、能代は港町だから交易が成り立たないという理由であった。能代では銀札遣いが無かったので、平元を神のように感じたとしている(『秋田沿革史大成』)。多羅尾村の商人を篤い饗応でなんとか説得したのは彼であったし、また銀札奉行に就いてからは、「これまでの銀札方の努力をほとんど無にするような線」で銀札仕法の改正を行っている(『秋田県史』第2巻近世編上、p.618)。作中では、秋田で大蕗を得る功績もあったとしている。
  12. ^ 秋田で商家の打ち壊しがあったという史実はない。しかし宝暦6年には金沢で銀札による打ち壊し事件が発生している。
  13. ^ 『北家日記』では佐竹義道が直接松平家を訪問したとある。
  14. ^ 『後藤祐良日記』によれば「八月六日、今日那珂忠左衛門引廻候。付紙小籏為背負、右御書付左之通。『此者奸佞邪悪を以密々党を与し、国家騒動之端を発し既ニ叛逆を企、剰関所を破候重科により庶人に下し、於草生津斬罪に行ふもの也』」とある。(国典類抄後編凶部35)
  15. ^ 『秋田沿革史大成』にも義真の死が佐竹山城の策略だと書かれている(上巻 p.119-120)。
  16. ^ 土居輝雄は歴史小説『宝暦の嵐』で、忠左衛門が武術の達人であるという設定を使い、剣劇の場面を描いている。

出典

  1. ^ 新野直吉『秋田の歴史』、『秋田県史 第ニ巻近世編 上』、長岐喜代次『佐竹物語』
  2. ^ 今村義孝『秋田県の歴史』、土居輝雄『佐竹騒動その背景』
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 土井輝雄『佐竹騒動その背景 -銀札事件覚書』銀札事件略年表、pp.56-62
  4. ^ 佐藤清一郎『秋田貨幣史』、1972年、p.50
  5. ^ 『佐竹物語』、長岐喜代次、秋田:武内印刷出版部、p.230
  6. ^ 『秋田貨幣史』、佐藤清一郎、1972年、p.51-58
  7. ^ a b c d 土井輝雄『佐竹騒動その背景 -銀札事件覚書』、秋田魁新報社1996年
  8. ^ 『秋田騒動実記大全』、秋田県公文書館蔵。寛政2年写。6冊
  9. ^ 井上隆明『秋田市史 第14巻 文芸・芸術』1998年、p.225-226
  10. ^ 『三田村鳶魚全集』第10巻収録「講釈の移替り」、中央公論社、昭和50年
  11. ^ 今田洋三『江戸の禁書』吉川弘文館、昭和56年
  12. ^ a b c d e f g 高橋圭一『実録研究 -筋を通す文学-』精文堂、2002年、p.35-68
  13. ^ 『新秋田叢書』第9巻、歴史図書社、昭和47年、p.242
  14. ^ 『秋田県史』近世編 第4章第3節「宝暦の銀札事件」六「銀札事件」、昭和39年、p.631
  15. ^ 『講座日本近世史5 宝暦・天明期の政治と社会』2章「宝暦期の社会と文化-馬場文耕を中心として-」有斐閣、昭和63年、p.131
  16. ^ 『秋田杉直物語』矢口本の記述
  17. ^ 『秋藩懲瑟禄』(秋田県立図書館蔵)、『国典類抄』後編凶部(秋田図書館編、第九巻、凶部三、昭和60年)
  18. ^ 幕府時代申渡抄録』(『百万塔 第9巻』収録)明治25年、165コマ目
  19. ^ 吉永昭『御家騒動の研究』清文堂、2008年、p.725-726
  20. ^ 今田洋三『宝暦・天明期の政治と経済 2章宝暦期の社会と文化 -馬場文耕を中心として-』有斐閣、昭和63年、p.98
  21. ^ 中村幸彦『近世小説史の研究』収録、桜楓社出版、1961年
  22. ^ 井上隆明『秋田市史 第14巻 文芸・芸術』1998年、p.228
  23. ^ a b c d e f g h i j k l 高橋圭一「実録「秋田騒動物」攷」(『読本研究 第4輯上套』)1990年、p.85-113
  24. ^ 井上隆明『秋田きらり12群の史話』書肆えん、2013年、p.65-74
  25. ^ 井上隆明『秋田市史 第14巻 文芸・芸術』1998年、p.230
  26. ^ 『汁講話』、『第三期 新秋田叢書 第十二巻』収録、新秋田叢書編集委員会編、歴史図書社、p.48
  27. ^ 井上隆明『秋田市史 第14巻 文芸・芸術』1998年、p.230-231
  28. ^ 『秋田人名大事典』、p.417
  29. ^ 土井輝雄『佐竹騒動その背景 -銀札事件覚書』、p.27-40
  30. ^ 海音寺潮五郎『列藩騒動録(上)』、p.399(文庫版)
  31. ^ 『国典類抄』後編凶部35、宝暦7年6月10日項
  32. ^ 細谷則理『秋田叢書 第7巻』、秋田叢書刊行会、昭和7年、p.1
  33. ^ 『秋田県史』近世編 第4章第3節「宝暦の銀札事件」六「銀札事件」、昭和39年、p.631
  34. ^ 土井輝雄『佐竹騒動その背景 -銀札事件覚書』、p.36
  35. ^ 志立正知『<歴史>を創った秋田藩』2009年ISBN 978-4-305-70395-8、p.1-2,p.18
  36. ^ a b 井上隆明『秋田市史 第14巻 文芸・芸術』1998年、p.227




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