神谷宏治とは? わかりやすく解説

神谷宏治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 01:18 UTC 版)

神谷 宏治(かみや こうじ、1928年8月7日 - 2014年10月2日[1] )は日本建築家都市計画家丹下健三の下で浅田孝大谷幸夫磯崎新らと共に都市と建築の設計に従事し、丹下が主宰したURTEC((株)都市・建築設計研究所)の初代代表取締役(1961-1971)として活躍。丹下の最高傑作と目される国立代々木競技場(1964)の設計チーフを務めた。退社後、日本大学教授としてコーポラティブハウスを発展させたコープタウンの普及に尽力し、丹下の建築哲学の継承という難題に貴重な手がかりを与えた。日本建築学会特別賞(国立代々木競技場)、建築業協会賞(香川県立体育館)、科学技術庁長官賞(万国博大屋根の巨大架構)。日本大学名誉教授。NPO全国コープ住宅推進協議会元理事。2014年10月2日、胃がんのため死去。『幻の東京計画 ~首都にありえた3つの夢~』(BSプレミアム2014年10月11日放送)への出演が公の場に姿を現した最後の場となった。




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