盛誉
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盛誉(せいよ、生年不詳 - 天正10年3月16日(1582年4月18日))は、戦国時代から安土桃山時代の肥後国球磨の僧侶。普門寺[1]5代院主で、号は奝然坊(ちょうねんぼう)。父は湯山宗豊、母は玖月善女、兄は湯山宗昌。
- ^ 現在の普門寺観音(相良三十三観音25番札所)。普門寺はもともと湯山の修験場であり、修験道の寺だった。
- ^ 女人と通じた為に成敗を命じられたとの説もある。しかし、普門寺3代の真盛が弘治年間に女人と通じたとの虚実により成敗されており、これと混同されている可能性もある
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