天草四郎
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天草 四郎(あまくさ しろう、旧字体:天草 四郞、元和7年〈1621年〉? - 寛永15年2月28日〈1638年4月12日〉)は、江戸時代初期のキリシタンで、島原の乱における一揆軍の中心人物とされる[4]。
- ^ a b c d e 岡田 1987, p. 88.
- ^ a b c d 吉村 2015, p. 90.
- ^ 吉村 2015, p. 89.
- ^ 岡田 1987, p. 2.
- ^ a b 岡田 1987, p. 87.
- ^ 吉村 2015, p. 80.
- ^ a b 阿部 1990, p. 720.
- ^ 神田千里『島原の乱』(中央公論新社、2005年)P125
- ^ 「つねのきる物の上ニ白ききぬをき たちつけをき かしらにニハ苧を以ミつくミにしてあて 緒をつけのど下にてとめ ひたいにちいさき十文字をたて申候 手ニハ御へいを持候て 惣勢下知仕候事」 「私事大膳ニ逢申候時四郎を見申候事」 なお、東大総合図書館にも同様の写本(『嶋原日記』)があるが、誤字や脱字がある。たとえば「四郎殿」(東大総合図書館本)とあるが、「四郎ハ松倉殿・・」(天草郷土資料館旧蔵本)と殿の前に「松倉」が入っていたことが分かる。鶴田倉造「新出・島原の乱関係史料」『会報』キリシタン文化研究会1986年6月号。『嶋原日記』(東大総合図書館本)は鶴田倉造『原史料で綴る 天草島原の乱』本渡市、1994年。に引用されている。
- ^ 「四郎を見た!記述再確認 島原の乱関連古文書群 14年ぶりに見つかる 唯一の目撃証言に注目」(『西日本新聞』朝刊2017年6月26日)。『熊本日日新聞』(1985年5月17日付)と『天草毎日新聞』(1986年11月23日付)にも史料が紹介された記事がある。
- ^ 神田千里『宗教で読む戦国時代』(講談社、2010年)p198
- ^ “天草四郎に妻? 尾張徳川家の史料から発見”. くまにちコム. 2009年6月11日閲覧。
- ^ “天草四郎メモリアルホール(上天草市)”. 2017年3月8日閲覧。
- ^ “天草四郎ミュージアム(天草宝島観光協会)”. 2017年3月8日閲覧。
- ^ 作中では、天草四郎を、益田甚兵衛の子「益田四郎時貞」と奇跡の子「天草のシロー」という別々の人物として描いており、二人のSHIROHの物語となっている。益田四郎を上川が、天草のシローを中川が演じている。
- ^ 第13回公演『もうひとつの地球の歩き方〜How to walk on another Earth.〜』
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