畠山稙長とは? わかりやすく解説

畠山稙長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 22:01 UTC 版)

畠山 稙長(はたけやま たねなが)は、戦国時代守護大名河内紀伊越中守護。足利氏支流畠山氏出身で河内畠山氏の一流である畠山尾州家(高屋畠山氏)の当主。


  1. ^ 多聞院日記」天文12年7月27日条
  2. ^ 天野忠幸編『戦国武将列伝7畿内編【上】』「畠山稙長」項。
  3. ^ 朝倉、190-200頁、弓倉、42-46頁、福島、71頁。
  4. ^ 浜口誠至「義晴前期の幕府政治―「御作事方日記」を中心に―」『在京大名細川京兆家の政治史的研究』思文閣出版、2014年。
  5. ^ 畑和良「河内守護代遊佐順盛の没年」『戦国史研究』第86号、2023年9月、P32-33.
  6. ^ a b c d 小谷 2004.
  7. ^ 「天文日記」天文7年7月4日条
  8. ^ 弓倉「天文年間河内半国体制考」(弓倉 2006)より
  9. ^ 言継卿記」天文11年3月18日条
  10. ^ 大館常興日記」天文11年4月8日条
  11. ^ 「多聞院日記」天文11年3月20日条
  12. ^ 「大館常興日記」天文10年8月2日条
  13. ^ 「音信御日記」天文11年4月16日条。北西弘『一向一揆の研究』(春秋社、1981年)収録。
  14. ^ 「多聞院日記」天文11年8月条
  15. ^ 「天文日記」天文12年1月26日条
  16. ^ 朝倉、203-206、211-212頁、弓倉、46-48、309-316頁、福島、75、89、92-94頁。
  17. ^ 「親俊日記」天文11年11月4日条
  18. ^ 「多聞院日記」天文12年7月25日条
  19. ^ 細川両家記
  20. ^ 「福田文書」8月7日細川氏綱書状
  21. ^ 「天文日記」天文13年8月2日
  22. ^ 長教妻の母が尚順の娘であることは「両畠山系図」より。遊佐長教の婚姻は「天文日記」天文13年8月25日条。
  23. ^ 「多聞院日記」天文13年7月29日条
  24. ^ 「天文日記」天文13年3月11日・13日条
  25. ^ a b 「兼右卿記」天文14年8月19日条
  26. ^ a b c 弓倉、238-243頁
  27. ^ 「天文十四年日記」(『ビブリア』76号、1981年)
  28. ^ 「大館記紙背文書」天文十四年記紙背3月13日舜智書状(『加能史料研究』9号、1997年)
  29. ^ 弓倉、48、238-243頁、福島、97-99頁。
  30. ^ 小谷利明「畿内戦国期守護と室町幕府」『日本史研究』510号、2005年。


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