男はつらいよ 寅次郎紙風船
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『男はつらいよ 寅次郎紙風船』(おとこはつらいよ とらじろうかみふうせん)は、1981年12月29日に公開された日本映画。『男はつらいよ』シリーズの28作目。
- ^ a b 1982年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
- ^ この作品の「マドンナ」を光枝(音無美紀子)に限ると考えるのか、愛子(岸本加世子)も加えると考えるのか、書物やウェブサイトによって考え方が分かれる。前者は、寅次郎(と後の満男)の恋愛の対象だけをマドンナと考えるもの。例えば、公式ウェブサイトがこの見解である。後者は、広く主要な女優をマドンナと考えるもの。この考え方によれば、第18作の雅子(檀ふみ)、第20作の幸子(大竹しのぶ)、第39作のふで(五月みどり)などもマドンナとなり得る。『pen 2019年6月1日号』(p.55)、『男はつらいよ 寅さんの歩いた日本』(p.74)、『男はつらいよ魅力大全』(p.298~302)などがこの見解である。岸本がクレジット順でトメであることも、この見解の一つの根拠になろう。
- ^ 第12作『男はつらいよ 私の寅さん』に登場した寅次郎の小学校時代の同級生・柳文彦が再登場しているが12作でのでのあだ名は「デベソ」、本作でのあだ名は「カワウソ」である。また、12作では柳のほうから積極的に寅次郎(とさくら)に近づいているが、本作では「顔を思い出すだけで不愉快」、「あいつが(同窓会に)来たら俺帰る」と関係が異なっている。ただし、12作での柳の最後の登場場面における寅次郎の態度を考えれば、「不愉快」、「俺帰る」は、きわめて当然の発言である。
- ^ この光枝の発言の解釈については、真っ二つに意見が分かれる。一つは、文言通りに捉えたもの、つまり、常三郎と寅次郎との約束で光枝の意思は考慮されていないので、事実上その約束を断りに来たという解釈である。光枝が常三郎の人間性や稼業を批判するような発言を繰り返していたこと、「私も腹が立ったけどね、まるで犬か猫でも他人にくれてやるような口きいちゃってさ」という言葉がその根拠になろう。「まさか亭主の言ったこと本気にはしていないでしょうね」(『みんなの寅さん 「男はつらいよ」の世界』p.254)、「寅さんの女性に対する喪失感を決定づけるマドンナ」(『男はつらいよ 寅さんの歩いた日本』p.75)などがこの見解である。もう一つは、他の多くのエピソード同様、光枝が寅次郎の真意を訊きに来たが、寅次郎が照れからごまかしてしまったので、光枝もそれに応じた態度を取らざるを得なかったという解釈である。光枝が寅次郎にハガキを送った上、正月も含めて二度もとらやを訪れたことが、その根拠になろう。「光枝はその気になっているようにもみえるが、いざとなると前へ進むことのできない寅である」(『完全版「男はつらいよ」の世界』p.228)などがこの見解である。なお、『「男はつらいよ」寅さん読本』の本作解説(p.136~138)の直後に、「寅さんと結婚」と題した山田監督のコラムがある(p.139~140)ことは注目に値する。「どんなに好きな女性が現れても、その女性のために自分の生活を崩されるのは耐えられない」との、一見本作で寅次郎が目指していたように見えるもの(所帯、就職)とは異なる記述がされている。表面的な言葉に惑わされない解釈を求めているようにも見える。
- ^ a b 『日経ビジネス』1996年9月2日号、131頁。
- 1 男はつらいよ 寅次郎紙風船とは
- 2 男はつらいよ 寅次郎紙風船の概要
- 3 ロケ地
- 4 スタッフ
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