瓜生良介
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瓜生 良介(うりゅう りょうすけ、1935年3月3日 - 2012年9月5日)は、日本の演出家、鍼灸師。劇団「発見の会」主宰。「ウリウ治療室」を開設し「快医学」を提唱。発見の会は「最初のアングラ劇団」と言われる。青年劇場の瓜生正美は兄。
- ^ 「僕が“発見の会”って案を出して当選して千円ぐらい貰った」(「内田栄一インタビュー」、『シナリオ』1992年12月号、p9)。
- ^ 竹内の戯曲は発見の会に馴染まなかったが、内田、今野の創作劇へのきっかけとなった(『小劇場運動全史』p85-86、p96)。
- ^ 内田にとっても発見の会にとっても代表作となる(『別冊太陽・現代演劇60s-90s』、平凡社、1991)。
- ^ 「発見の会はある時期、かなり突出していた。『エンツェンスペルガー』などは一つのピークだった。」。『此処か彼方処かはたまた何処か』、『ゴキブリの作りかた』も称賛している(『映画評論』1971年1月号、p69)。
- ^ 『映画評論』1968年6月号グラビア、『別冊太陽・現代演劇60s-90s』p25。
- ^ 『怨霊血染めの十字架』『射風華吹雪緑姿絵』、竹中労が協力している。
- ^ 三枚のアルバムを制作。全国ツアーのマネジメントなど。1980年まで。
- ^ 上杉清文作「不純異星交遊」を上演。
- ^ 「日本帝国主義本国人がこんな〈親切〉をうけていいのだろうかという想いいっぱいで帰ってきた」(『小劇場運動全史』p279)
- ^ “演出家の瓜生良介さん死去(朝日新聞デジタル)”. 2024年2月1日閲覧。
- ^ “MASH profile 田口トモロヲ”. 2023年12月28日閲覧。
- ^ 牧口元美「暑中お見舞申し上げます。」(『不純異星交遊』パンフレット、1978)。
- ^ 副島輝人『日本フリージャズ史』青土社、2002。p391。
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