猿丸吉左衛門
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猿丸 吉左衛門(さるまる きちざえもん、1903年(明治36年)2月4日[1] - 1983年(昭和58年)1月4日[2])は、日本の実業家・政治家。芦屋市長(1948年 - 1952年)、兵庫県議会議員。初名は吉雄。
注釈
- ^ 猿丸家では、厩戸皇子(聖徳太子)の孫にあたる弓削王を猿丸大夫としている。安土桃山時代に「猿丸吉左衛門」「猿丸又左衛門」の2家に分かれ、東芦屋猿宮(現代では芦屋神社の境内社)に奉職した[4]。地域振興に尽くし「猿丸君彰功碑」(1930年建立)で顕彰されている猿丸安明(1872年 - 1920年)は又左衛門家の人物[5]。
- ^ 芦屋市のサイトでは「1922年(大正11年)」の全国学生大会で優勝し「初代横綱」になったとある[3]。
- ^ 芦屋市のサイトでは「31m0」とある[3]。
- ^ 沖田芳夫が4月に出した日本記録を更新したが、11月には沖田が日本記録を塗り替えている[14]。ただし1965年の文章で猿丸は、後輩の塚本簫之助に更新されるまで「約10年」日本記録を保持していたという認識を示している[11]
- ^ 代表選手に内定していたという主張もある[3][16]が、藤瀬(2021年)によれば「内定」についての明確な記録は確認されていない[17]。
- ^ 芦屋市(旧精道村)は明治40年代にも大規模な公園開発を行おうとするなど、観光開発志向には前史がある[20]。
出典
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、298頁。
- ^ 小川功 2014, p. 60.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac “猿丸吉左衛門(さるまるきちざえもん) 日本スポーツ界に輝いた”巨星””. 芦屋市. 2021年8月24日閲覧。
- ^ 猿丸誠三 2017, pp. 88–89.
- ^ 猿丸誠三 2017, pp. 89–90.
- ^ a b c d 小川功 2014, p. 61.
- ^ “下がって居たものを突然引上げたので酒造家の所得税課率揉める”. 大阪毎日新聞. (1924年7月30日) 2021年8月24日閲覧。(神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫)
- ^ “昔のくらし展 2020年12月5日”. 芦屋市立美術博物館. 2021年8月24日閲覧。
- ^ a b c d e 田中智子 2013, p. 148.
- ^ 猿丸吉左衛門 1965, p. 78.
- ^ a b c d e f 猿丸吉左衛門 1965, p. 79.
- ^ 猿丸吉左衛門 1965, pp. 78–79.
- ^ “忍耐・試練の時 昭和初期の同志社スポーツ”. 同志社大学. 2021年8月24日閲覧。
- ^ a b c d “日本学生記録の変遷 男子ハンマー投”. 日本学生陸上競技連合. 2021年8月24日閲覧。
- ^ “日本学生記録の変遷 男子砲丸投”. 日本学生陸上競技連合. 2021年8月24日閲覧。
- ^ a b c 藤瀬武彦 2021, p. 101.
- ^ 藤瀬武彦 2021, pp. 101–102.
- ^ “田尾スポーツ文庫”. 芦屋市立図書館. 2021年8月24日閲覧。
- ^ 小川功 2014, pp. 41, 43–44.
- ^ 小川功 2014, p. 56.
- ^ 小川功 2014, pp. 45–46.
- ^ 小川功 2014, p. 41.
- 1 猿丸吉左衛門とは
- 2 猿丸吉左衛門の概要
- 3 家族
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