横浜市中心部の廃河川
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横浜市中心部の廃河川(よこはましちゅうしんぶのはいかせん)。現在の神奈川県横浜市中区から南区にかけての横浜市役所や伊勢佐木町、吉野町などに相当する一帯は、江戸時代初期まで大岡川河口の入り江や沼地であった。江戸時代に行われた吉田新田や太田屋新田の新田開拓、およびその後に市街地化された際に水路網が造られ、河川舟運や排水路に利用されてきた。1932年に発行された『横浜復興誌』によると、当時の横浜市内の河川・運河の総延長は約54km、年間航行船舶は延べ七万五千隻を数えたが[1]、水運の衰退や都市交通網の再整備のため、外周にあたる大岡川・中村川・堀川と、根岸湾に至る堀割川を残して1977年までに埋め立てられた。本項では、これら大岡川水系の廃河川を中心に述べる。
- ^ a b 『なか区歴史の散歩道』p134-135 川と運河のマチ横浜
- ^ 『川の町横浜』 p2-3
- ^ 西区の埋め立てをさぐる(解説)(横浜自然史博物館.Virtual)
- ^ 『なか区歴史の散歩道』p54-55 時に移ろう堀川の眺め
- ^ 『川の町横浜』 p8
- ^ 『川の町横浜』 p34-37
- ^ 『なか区歴史の散歩道』p184-185 失われた川と運河
- ^ 『川の町横浜』 p8
- ^ 「企画展 消えた八つの川」『開港のひろば』第95巻、横浜開港資料館、2007年1月31日。
- ^ 『中区史 第5章・野毛地区』p472-477
- ^ 『川の町横浜』p22-23
- ^ 『川の町横浜』p22,25
- ^ 『川の町横浜』p24
- ^ 『川の町横浜』p48 巻末年表
- ^ a b 調査季報63号 特集 横浜の地下 (6)地下の土木工事 桜木町五重立体工事の計画と施工
- ^ 『川の町横浜』p26-29
- ^ 調査季報28号 特集 六大事業の経過と今後の方向(1) 6大事業の基本理念(横浜市政策局)
- ^ 高速道路地下化に関る新発見資料NPO法人田村明記念・まちづくり財団(2014-05-07)2016-02-12閲覧
- ^ 「都心部の高速道路地下化に至る組織的決定の構造と田村明」NPO法人田村明記念・まちづくり財団(2013-12-18)2016-02-12閲覧
- ^ (田村 1989, p. 73)
- ^ (田村 2006, pp. 74–75)
- ^ (田村 2006, pp. 74–75)
- ^ (田村 1989, p. 75-76)
- ^ 第4回公開研究会(『高速道路の地下化』第2回)開催報告NPO法人田村明記念・まちづくり財団(2014-10-30)2016-02-28閲覧
- ^ 「かながわの鉄道」に「桜木町駅前のゴールデンセンターの下に造った地下鉄用ホームは無用となり、その下に新しくホームを造る」という記載。桜木町駅に幻のホームが眠っているの?はまれぽ(2014年10月15日)2016年3月1日閲覧
- ^ 帷子川水系河川整備計画 (PDF)
- ^ “千代崎川の記憶を後世に”. タウンニュース. (2011年7月14日) 2016年2月29日閲覧。
- 1 横浜市中心部の廃河川とは
- 2 横浜市中心部の廃河川の概要
- 3 川の痕跡
- 4 ギャラリー
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