泉龍寺との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/15 23:27 UTC 版)
また禅師は刈谷の泉龍寺創建にも関わり、泉龍寺は水野勝成に随って大和郡山、備後福山に移ったが、その開基は水野氏の重臣中山将監で、禅師の親類であった。三河の刈谷、大和郡山、備後福山と、泉龍寺は移ったが、現在広島県福山市霞町にある。福山に現存する泉龍寺は、寛永7年(1630年)に福山の城下南西に建てられたとされる。また泉龍寺は水野勝成に随身した中山重盛以降代々家老をつとめた中山家の菩提寺である。 晩年、禅師は草木の正盛院に閑居、永禄12年(1569年)に89歳の長い生涯を終えた。
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