江崎邦助とは? わかりやすく解説

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江崎邦助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 05:41 UTC 版)

江崎邦助(えざき くにすけ、文久元年(1861年) - 1886年明治19年)6月23日)は、明治時代の警察官である。


  1. ^ 『田原町史』下巻では、明治17年(1884年)6月としている(p.894)。
  2. ^ 愛知県内では、明治16年6月-8月の3ヶ月で患者数は614人、うち死亡者422人に及ぶほど猛威を振るった。最終的に一年間で患者数1143人、その内862人が命を落としている[2]
  3. ^ 当時、衛生行政は警察とともに内務省が担当しており、防疫業務も警察官の任務の一つだった。
  4. ^ 同様のケースは、7年前の明治12年(1879年)にも起きている。当時の新聞記事によれば、同年6月に知多郡鴻崎村(現・南知多町)の日間賀島でコレラ患者が発生した際、患者を避病院へ搬送するため警察や医師が護送するのを、「打ち殺される」「生き血を搾り取られる」と流言する者がいて、住民が巡査を襲撃している。巡査がサーベルで住民1人の尻を切りつけると、住民は逃げだしたという[3]
  5. ^ 当時の堀切村は電話が開通していなかった(電信線が開設されたのは、明治33年(1900年))[4]
  1. ^ 愛知県警察史 1971, p. 775.
  2. ^ 愛知県史 2017, p. 668-669.
  3. ^ 愛知県史 2017, p. 666.
  4. ^ 田原町史 1978, p. 896.
  5. ^ a b 愛知県警察史 1971, p. 779.
  6. ^ a b 田原町史 1978, p. 898.
  7. ^ 田原町史 1978, p. 899.
  8. ^ 田原町史 1978, p. 897.
  9. ^ 田原で江崎巡査夫妻の追悼慰霊祭”. 東愛知新聞 (2017年6月24日). 2018年1月28日閲覧。
  10. ^ 「コレラまん延防ぎ殉職 田原の巡査 きょう百三十回忌法要」、中日新聞2015年6月23日付朝刊、29頁
  11. ^ 「巡査に敬意、130回忌 田原分署の江崎さん コレラ拡大、体張り防ぎ落命」、朝日新聞2015年6月24日付朝刊(名古屋本社版)、27頁
  12. ^ 「125年前、田原のコレラ拡大防ぎ殉職 巡査の志、受け継ぐ 演劇・絵画に」、朝日新聞2011年5月23日付夕刊(名古屋本社版)、6頁
  1. ^ 増田神社夏祭り唐津観光協会、2018年3月12日閲覧。
  2. ^ 増田神社例大祭佐賀県警、2018年3月17日閲覧。
  3. ^ 彼の死--増田巡査の神格化CiNii、2018年3月17日閲覧。
  4. ^ 広報かみさと2015年8月号(No.555)p10、2018年3月12日閲覧。


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