江崎邦助
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江崎邦助(えざき くにすけ、文久元年(1861年) - 1886年(明治19年)6月23日)は、明治時代の警察官である。
- ^ 『田原町史』下巻では、明治17年(1884年)6月としている(p.894)。
- ^ 愛知県内では、明治16年6月-8月の3ヶ月で患者数は614人、うち死亡者422人に及ぶほど猛威を振るった。最終的に一年間で患者数1143人、その内862人が命を落としている[2]。
- ^ 当時、衛生行政は警察とともに内務省が担当しており、防疫業務も警察官の任務の一つだった。
- ^ 同様のケースは、7年前の明治12年(1879年)にも起きている。当時の新聞記事によれば、同年6月に知多郡鴻崎村(現・南知多町)の日間賀島でコレラ患者が発生した際、患者を避病院へ搬送するため警察や医師が護送するのを、「打ち殺される」「生き血を搾り取られる」と流言する者がいて、住民が巡査を襲撃している。巡査がサーベルで住民1人の尻を切りつけると、住民は逃げだしたという[3]。
- ^ 当時の堀切村は電話が開通していなかった(電信線が開設されたのは、明治33年(1900年))[4]。
- ^ 愛知県警察史 1971, p. 775.
- ^ 愛知県史 2017, p. 668-669.
- ^ 愛知県史 2017, p. 666.
- ^ 田原町史 1978, p. 896.
- ^ a b 愛知県警察史 1971, p. 779.
- ^ a b 田原町史 1978, p. 898.
- ^ 田原町史 1978, p. 899.
- ^ 田原町史 1978, p. 897.
- ^ “田原で江崎巡査夫妻の追悼慰霊祭”. 東愛知新聞 (2017年6月24日). 2018年1月28日閲覧。
- ^ 「コレラまん延防ぎ殉職 田原の巡査 きょう百三十回忌法要」、中日新聞2015年6月23日付朝刊、29頁
- ^ 「巡査に敬意、130回忌 田原分署の江崎さん コレラ拡大、体張り防ぎ落命」、朝日新聞2015年6月24日付朝刊(名古屋本社版)、27頁
- ^ 「125年前、田原のコレラ拡大防ぎ殉職 巡査の志、受け継ぐ 演劇・絵画に」、朝日新聞2011年5月23日付夕刊(名古屋本社版)、6頁
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