水田三喜男
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水田 三喜男(みずた みきお、1905年4月13日 - 1976年12月22日)は、日本の政治家。城西大学創立者。自由民主党政務調査会長(初代)。大蔵大臣を数度にわたり務めたほか、経済審議庁長官や通商産業大臣など経済閣僚を歴任した。戦後日本の代表的な財政家でもある。
- ^ 『おもひ出 水田三喜男追想集』1977年、767頁
- ^ 当選同期に、小坂善太郎・二階堂進・江崎真澄・小沢佐重喜・石井光次郎・坂田道太・原健三郎・川崎秀二・井出一太郎・早川崇・中野四郎など
- ^ 1962年1月19日の演説 東京大学東洋文化研究所田中明彦研究室
- ^ 「自分が引き締め策で国際収支を良くすると、その後で大盤振る舞いしていい子になれるのが福田君であり田中君だ」と語っていたという。水田宗子の人生ノート
- ^ 「水田蔵相が帰国」『朝日新聞』昭和42年(1967年)8月29日夕刊、3版、1面
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)27頁
- ^ 岸本正人「急募『平成の水田』」 『毎日新聞』、2009年12月10日、12版、9面。
- ^ ニクソン・ショックでの日米蔵相会談について会話していたのをふと物忘れし、焼いていた餅が膨らんで水田の瘤を連想して思い出したというもの。
- ^ 戦間期日本の為替レート変動と輸出―1930年代前半の為替レート急落の影響を中心に― 畑瀬真理子、金融研究、p.99, p.100図表2、日本銀行金融研究所、2002年6月
- ^ 知の巨人・渡部昇一に学ぶ「これだけは知っておきたいほんとうの昭和史」 致知出版社、2020年3月19日
- ^ 円安信仰はスペードのエース 国際協力銀行総裁 渡辺博史氏 日本経済研究センター、p.14、2014年4月号
- ^ ニクソン・ショック狂騒劇(第2章) 変動相場制へ移行 取材ノート、松尾好治、日本記者クラブ、2014年4月
- ^ ニクソン・ショック50年:円高恐怖症が招いた「安い日本」 nippon.com、土谷英夫、2021年8月10日
- ^ a b 水田宗子の人生ノート -『偽らず、欺かず、諂わず』「水田三喜男の次女として」 (PDF) 埼玉新聞 水田宗子の人生ノート 2010年1月18日付
- 1 水田三喜男とは
- 2 水田三喜男の概要
- 3 家族
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