殷承瓛
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殷 承瓛(いん しょうけん)は清末民初の軍人・政治家。中国同盟会に属した革命派の人物で、後に雲南派の軍人となり、護国戦争(第三革命)では護国軍に参加した。字は叔桓。
- ^ 雲南省陸良県志編纂委員会編(1991)、894頁は、1904年(光緒30年)に留学し、陸軍士官学校第6期卒業としている。
- ^ a b 劉国銘主編(2005)、1987頁
- ^ a b c 徐主編(2007)、1250頁。
- ^ 雲南省陸良県志編纂委員会編(1991)、894-895頁
- ^ 雲南省陸良県志編纂委員会編(1991)、895頁
- ^ 雲南省陸良県志編纂委員会編(1991)、895-896頁
- ^ 『政府公報』第239号、1913年(民国2年)1月5日。
- ^ 『政府公報』第335号、1913年(民国2年)4月13日。
- ^ 雲南省陸良県志編纂委員会編(1991)、896頁
- ^ 徐主編(2007)、1250頁による。劉国銘主編(2005)、1987頁は、「護国軍総参謀長」に任命されたとしている。雲南省陸良県志編纂委員会編(1991)、897頁は、殷は唐継尭率いる護国第3軍参議処処長に任命され、貴州方面からの四川進攻に貢献したとしている。
- ^ 『政府公報』第220号、1916年(民国5年)8月14日。
- ^ 雲南省陸良県志編纂委員会編(1991)、897頁
- ^ 『国民政府公報』第2076号によると、1936年(民国25年)6月16日、同姓同名の人物が陸軍少将に任命されている。しかし本記事の殷承瓛と同一人物かどうかは確定できない。
- ^ このほか、雲南辞典編輯委員会編(1993)、663頁も1945年死去をとる。
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