武蔵高等学校 (旧制)
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旧制武蔵高等学校(きゅうせいむさしこうとうがっこう)は、1921年(大正10年)12月、東京府北豊島郡中新井村(現:東京都練馬区豊玉上)に設立された私立の旧制7年制高等学校である。略称は「武高」。
- ^ 秦郁彦 『旧制高校物語』p.162。
- ^ 熊谷晃 『旧制高校の校章と旗』 えにし書房、2016年、pp.121-122
- ^ 創立まで(~1922) | 学校法人根津育英会武蔵学園「本間則忠の勧説」参照。2023年10月21日閲覧。
- ^ 同上「子爵平田東助の助言」参照。2023年10月21日閲覧。
- ^ 「展示案内|旧制武蔵高等学校 1922-1950」の「校名・武蔵の由来」参照。2023年10月21日閲覧。
- ^ 「旧制武蔵高等学校 1922-1950」の「校名・武蔵の由来」参照。2023年10月21日閲覧。
- ^ それぞれ甲南・成蹊・成城各大学の旧制前身校である。
- ^ それぞれ現在の富山・大阪の両大学および東京都立大学の旧制前身校。
- ^ 官立では武蔵高校とほぼ同時期に設立(官制公布)された先述の旧制東京高校(東京大学の旧制前身校の一つ)、および当時日本領であった台湾の台北高校がある。
- ^ 武蔵学園の沿革「1922・4」の項を参照(2013年6月6日閲覧)。1学年の定員は80名。
- ^ 秦、同上。
- ^ 関口安義「反骨の教育家」p.183。
- ^ 秦、同上
- ^ 学制改革において、多くの旧制高等学校は、単独での大学昇格が困難であったことから、新制の総合大学の文理学部・教養学部・教養部へと移行するのが一般的であった。しかし例外的に成蹊・成城が単独で新制大学に昇格できた背景には、私立学校で初等教育(小学校)からの一貫した課程を備えており、学生・生徒を確保しやすかったという事情もあった。
- ^ 以上、武蔵大学60年の歩み「新制武蔵大学由誕生は順調だったのでしょうか」参照。2023年10月21日閲覧。
- ^ 学校探検「武蔵中学校」参照。2013年6月6日閲覧。
- ^ 武蔵大学60年の歩み「新制の大学・高校・中学の関係はどうだったのでしょうか」参照。2023年10月21日閲覧。
- ^ 関口、p.178。
- ^ 慎独寮第10回開寮記念式に際して庭園「積翠園」が造営された(戦災により寮とともに焼失し、現存しない)。
- ^ 天野郁夫『高等教育の時代(上):戦間期日本の大学』中公叢書、2013年、p.254。
- ^ 根津化学研究所2013年6月5日(JTC)閲覧。
- 1 武蔵高等学校 (旧制)とは
- 2 武蔵高等学校 (旧制)の概要
- 3 著名な卒業者・教員
- 4 校地とその継承
- 5 校史トピックス
- 6 アーカイブス
- 7 関連項目
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