権知高麗国事
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権知高麗国事(けんちこうらいこくじ)は、明が李氏朝鮮初期(初代から三代目)に李成桂ら、後の「朝鮮王」に授けた封号。高麗王代理、あるいは高麗国知事代理を意味する。李成桂は権知朝鮮国事のまま亡くなったが、第3代である太宗の時である1403年に永楽帝(明の第3代皇帝)によって「朝鮮王」の地位が漸く冊封されると、太宗から死後に「初代朝鮮王」の地位が追贈された[1]。
注釈
出典
- ^ 韓国文化への誘い: 全羅北道の歴史と文化秋季特別展 - p39 石川県立歴史博物館
- ^ 小島毅『「歴史」を動かす―東アジアのなかの日本史』亜紀書房、2011年8月2日、129頁。ISBN 4750511153。
- ^ 小島毅『「歴史」を動かす―東アジアのなかの日本史』亜紀書房、2011年8月2日、130頁。ISBN 4750511153。
- ^ a b c 矢木毅 2008, p. 43
- ^ a b c 矢木毅 2008, p. 44
- ^ 矢木毅 2008, p. 40
- ^ 矢木毅 2008, p. 45
- ^ 矢木毅 2008, p. 41
- ^ 矢木毅 2008, p. 49
- ^ 近世ソウル都市社会研究: 漢城の街と住民 - p58 . 草風館,吉田光男 (2009年)
- 1 権知高麗国事とは
- 2 権知高麗国事の概要
- 3 参考文献
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