柳生厳包とは? わかりやすく解説

柳生厳包

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 03:31 UTC 版)

柳生 厳包(やぎゅう としかね、寛永2年(1625年) - 元禄7年10月11日1694年11月27日))は、江戸時代前期の武士、剣術家、尾張藩士。柳生利厳(兵庫助)の子。父の跡を継いで尾張藩剣術指南役を務め、藩主・徳川光友新陰流を伝授した。幼名は新六。初名は厳知。通称は七郎兵衛、兵助、兵庫。隠居後は入道して連也斎または浦連也と号した。著書に『御秘書』、『連翁七箇條』。


注釈

  1. ^ 厳包自筆の覚書による[5]
  2. ^ 近世中期の尾張藩士・長岡房成が記した『刀法録』は「坐奪刀」「大転」「高揚勢」を連也の作と記す。また「合撃」について、厳包の兄・利方が著した『新陰流討太刀目録』では記述が無く、厳包の著した目録で初めて確認できることから、厳包から導入されたと考えられている[6]
  3. ^ 『名古屋市史』では3兄弟の中で厳包のみ「庶子」という記述がある[4]

出典

  1. ^ a b c d e f g 史料 柳生新陰流〈下巻〉収録『昔咄』。該当箇所はp.376-384
  2. ^ a b c 連也爺一代記
  3. ^ a b c d 今村嘉雄1994。p.267-278
  4. ^ a b c 名古屋市史人物編 下巻 p.30。厳包の記事の出典は『士林泝洄』『昔咄』『諸士傳略稿』『尾張名家誌』
  5. ^ 赤羽根大介、赤羽根龍夫 2010
  6. ^ a b c 加藤純一、1990
  7. ^ 赤羽根大介、赤羽根龍夫 2010
  8. ^ 相川、伊藤2004。p.201
  9. ^ 今村嘉雄1994。p.66


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