松永東
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 13:21 UTC 版)
松永 東(まつなが とう[注 1]、1887年(明治20年)10月15日 - 1968年(昭和43年)1月22日)は、日本の実業家、弁護士[3][7]、弁理士、政治家[1][2][4]。第45代衆議院議長[8]。第76代文部大臣[9]。さいたま市名誉市民[10]。
注釈
- ^ 東の読み方は「とう」ではなく「はじめ」である。父・道広は「人の先に立って時代を闊歩する人間になれ」と東(はじめ)という名前をつけた。政治家になって「まつながとう」といわれるようになると自分も「とう」という呼び方で通した[6]。
- ^ 早稲田大学商科を中途退学した理由は月謝を払わず、そのうち学籍を抜かれたためである[13]。
- ^ 『早稲田大学紳士録 昭和15年版』や『人事興信録 第11版 下』には、「道廣」とある[2][12]。
- ^ 『火の国健児の生涯松永東』には「うた」とある[6]。うたは、松永東の姉・かちの下宿先の大高家の娘である[6]。松永東は大高家を訪問しているうちに家族の人々と親しくなった[6]。
出典
- ^ a b c d e f g h i 『粛正選挙代議士名鑑』22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『早稲田大学紳士録 昭和15年版』マ791頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月10日閲覧。
- ^ a b 『翼賛選挙大観』69頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月11日閲覧。
- ^ a b c d e 『大衆人事録 第12版 東京篇』東京630頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月12日閲覧。
- ^ a b c d e f 『政治家人名事典』494頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『火の国健児の生涯松永東』13 - 17、41 - 45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年3月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『東京弁護士名家録 第1巻』78-80頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月11日閲覧。
- ^ a b 衆議院歴代議長・副議長一覧、衆議院公式サイト。
- ^ a b 歴代文部科学大臣、文部科学省公式サイト。
- ^ さいたま市名誉市民、さいたま市公式サイト。
- ^ a b 『翼賛議員銘鑑』385頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第11版 下』マ140頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “昭和六十年五月十九日 創立三十周年記念塾祭記念講演「私の人生」文部大臣 松永光先生” (PDF). 和敬塾五十年の歩みとこれから. 2024年3月2日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第13版 下』マ105頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月12日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版 下』マ98頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月12日閲覧。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第18回』97頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月13日閲覧。
- ^ 『公職追放に関する覚書該当者名簿』332頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月13日閲覧。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第25回』209頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月13日閲覧。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第30回』123頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月13日閲覧。
- ^ 『戦後プロ野球50年:川上、ON、そしてイチローヘ』近藤唯之・著。(新潮社,1994年)ISBN 4-10-132212-0
- ^ ご挨拶、中央区議会議員 海老原たかさと公式サイト。
固有名詞の分類
- 松永東のページへのリンク