東海村 (千葉県市原郡)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/06 09:20 UTC 版)
東海村(とうかいむら)は、かつて千葉県市原郡に存在し、昭和の大合併により廃止された村。現在の市原市北西部(五井地区)に位置している。
注釈
- ^ 2023年9月現在。所属自治体や地勢など、当分変更が見込まれないものに関しては、以後特に注記を設けない。
- ^ 現代の正式な表記では「廿五里」であるが、『千葉県市原郡誌』では「二十五里」表記で一貫している。
- ^ 『千葉県市原郡誌』には「古川溝渠」と記される[9]。現代では「前川(水系)」や「今津川」といった名で把握されている[8]。
- ^ 『千葉県市原郡誌』では、海上郡が南北に分かれて海北郡と「海南郡」となったことを想定するが[14]、史料上「海南郡」という名称の使用例は確認できない[15]。『日本歴史地名大系』は、位置関係からすれば馬野郡か佐是郡がそれ(「海南郡」)にあたるか、とする[15]。『角川日本地名大辞典』は『千葉県地名変遷総覧』を引き、「海南郡と称されるべき地域が佐是郡になった」という見解を紹介する[17]。
- ^ 海上郡内に海保荘が置かれたともいう[14]。
出典
- ^ 『千葉県市原郡誌』, p. 792.
- ^ a b c 『千葉県市原郡誌』, p. 748.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, pp. 3, 748.
- ^ a b 『千葉県市原郡誌』, p. 749.
- ^ a b “海保大塚古墳”. 遺跡ファイル. 市原市. 2023年9月4日閲覧。
- ^ 『千葉県市原郡誌』, pp. 751–752.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, pp. 750–751.
- ^ a b “島穴神社の路No.4”. 藤原孝標女の更科いちはら紀行. 市原市. 2023年9月4日閲覧。
- ^ 『千葉県市原郡誌』, p. 753.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, pp. 749–753.
- ^ a b 『千葉県市原郡誌』, p. 757.
- ^ “海上郡〔古代〕”. 角川日本地名大辞典. 2023年9月3日閲覧。
- ^ “島穴神社の路”. 藤原孝標女の更科いちはら紀行. 市原市. 2023年9月4日閲覧。
- ^ a b c d 『千葉県市原郡誌』, p. 758.
- ^ a b c d “海北郡”. 日本歴史地名大系. 2023年9月4日閲覧。
- ^ “海上郡〔中世〕”. 角川日本地名大辞典. 2023年9月3日閲覧。
- ^ a b “海北郡(中世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年9月3日閲覧。
- ^ a b 『千葉県市原郡誌』, p. 781.
- ^ a b 『千葉県市原郡誌』, p. 782.
- ^ a b 『明治22年千葉県町村分合資料 七』, 46/166コマ.
- ^ a b 鎗田功 2021, p. 3.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, pp. 823–824.
- ^ a b 『千葉県市原郡誌』, p. 825.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, p. 826.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, p. 827.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, p. 829.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, pp. 828–829.
- ^ a b 鎗田功 2021, p. 5.
- 1 東海村 (千葉県市原郡)とは
- 2 東海村 (千葉県市原郡)の概要
- 3 地理
- 4 脚注
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