村岡四郎
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村岡 四郎(むらおか しろう、1899年9月10日 - 1975年5月28日)は日本の実業家。京阪電気鉄道社長、京福電気鉄道会長などを務めた。京阪中興の祖と呼ばれる[要出典]。
- ^ 在学中に面識があったかどうかは不明だが、佐伯は電鉄会社の経営者として「フィルターなしで話ができる間柄」だったと回想している(『村岡四郎さんの思い出』p.60)。
- ^ 前掲『村岡四郎さんの思い出』p.179 (川崎一雄・京阪相談役(当時)の執筆)
- ^ 『村岡四郎さんの思い出』p.268
- ^ 社長に就任したのは太田垣士郎(阪急出身)。
- ^ 前掲『村岡四郎さんの思いで』P204
- ^ a b 「 」は前掲『村岡四郎さんの思い出』P75からの引用(竹中練一・竹中工務店社長(当時)の執筆)。
- ^ 『村岡四郎さんの思い出』pp.153 - 154 (今田の執筆)
- ^ ひびき紀行 古都と水都 つなぐ旋律 京阪電鉄発車メロディーasahi.com関西2010年8月14日。これは日本の鉄道事業者でも先駆的な事例に属する。
- ^ 神崎宣武『経営の風土学 佐伯勇の生涯』河出書房新社、1992年、p.206 ISBN 4-309-00783-X
- ^ 『村岡四郎さんの思い出』p.248
- ^ 『村岡四郎さんの思い出』pp.16 - 17(石井英一・東洋電機製造社長(当時)の執筆)
- ^ 『村岡四郎さんの思い出』pp.235 - 236(加納次郎・京阪常務(当時)の執筆)。最終的に踏切を地下道に置き換えてホームは延伸された。なお、沖中忠順『京阪特急』(JTBパブリッシング、2007年)には特急を4両編成にした際に、1953年まで一部の駅でドアカットを実施したと記されており、村岡の社長在任中にドアカットを一切行わなかったわけではない。
- ^ 『村岡四郎さんの思い出』p.284
- ^ 『鉄道ジャーナル』1972年2月号、p.113
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