普久原朝喜
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普久原 朝喜(ふくはら ちょうき、1903年12月30日 - 1981年10月20日)は、沖縄県出身の音楽家、実業家、マルフクレコード創業者[1]。「琉球民謡の祖」、「琉球民謡の最高峰に立つ巨人」[2]、「沖縄新民謡の父」などと称される[3]。沖縄関係者の間では、「チコンキーフクバル(蓄音器・普久原)」とも通称された[2]。
- ^ a b 「普久原朝喜 (ふくはら・ちょうき)」 『最新版 沖縄コンパクト事典』琉球新報社、2003年 。2014年4月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 沖縄市 (2007年12月). “特集 民謡が息づく音楽のまち 沖縄をこよなく愛した男 チコンキーふくばる”. 広報おきなわ (沖縄市) (402): p. 5 2014年4月9日閲覧。
- ^ a b 長井好弘 (2001年6月24日). “[うた物語]名曲を訪ねて 芭蕉布=上 新しい沖縄の歌、創作”. 読売新聞・東京朝刊2部: p. 4 - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ a b c d e 高橋美樹「沖縄音楽レコード制作における〈媒介者〉としての普久原朝喜 1920-40年代・丸福レコードの実践を通して」『ポピュラー音楽研究』第10巻、日本ポピュラー音楽学会、2006年、 58-79頁、 doi:10.11385/jaspmpms1997.10.58。
- ^ a b c d e “きょうのテーマは大阪発沖縄音楽/その2 普久原朝喜”. 毎日新聞・大阪夕刊: p. 3. (1997年7月16日) - 毎索にて閲覧
- ^ 篠崎弘 (2007年8月17日). “沖縄の芸能を後世に 「マルフクレコード」80年の歩みCD全集化”. 朝日新聞・夕刊be金曜: p. 5 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 沖縄市 (2010年1月). “こどもの国に五十万円寄付 玉城流玉扇会矢上関西支部代表”. 広報おきなわ (沖縄市) (427): p. 5 2014年4月9日閲覧。
- 1 普久原朝喜とは
- 2 普久原朝喜の概要
- 3 外部リンク
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