日本への自動車の渡来とは? わかりやすく解説

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日本への自動車の渡来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 02:22 UTC 版)

日本への自動車の渡来(にほんへのじどうしゃのとらい)は、19世紀末に日本に初めて四輪自動車が渡来した出来事を指す。日本に持ち込まれた最初の四輪自動車は、1898年(明治31年)1月にフランス人技師ジャン=マリー・テブネ(Jean-Marie Thevenet[1][2])が持ち込んだガソリン自動車パナール・ルヴァッソールだとされている。この記事では、その車両を特定するに至るまでの経緯と、特定される以前に論じられていた諸説について、主に扱う。


注釈

  1. ^ 平易な「最初に輸入された自動車」、「日本最初の自動車」という呼称が広く用いられ、「自動車の渡来(初渡来)」は主にトヨタ博物館による論説で用いられている。
  2. ^ 「ダチオン」は「ド・ディオン英語版」だと推測されている[7]
  3. ^ 発表されてから75年以上経ってから発見されたことになるが、こうした報道漫画集は読み捨てられる運命にある雑誌であるため、収集すること自体に困難があったことによる(清水はスイスから取り寄せたコピーから発見した)[15]
  4. ^ 「自動車の初輸入」と題されたこの記事[W 2]の発見は偶然によるもので、齊藤は友人から映画『無法松の一生』(1897年を舞台にしている)に登場する「人力車」の時代考証を依頼され記事を探している中でこの記事を見つけた[W 3]。「自動車」の研究者たちは自動車が初めて渡来したとされる1900年の新聞記事は調査していたが、1898年の記事には調査が及んでおらず、この記事は発見されていなかった[W 3]
  5. ^ トヨタ博物館が写真を発見する1996年以前にも、『自動車と人間の百年史』(1987年刊)の髙田公理[19]、論考(1988年)で説を採用した大須賀和美[W 6]、『自動車伝来物語』(1992年刊)の中部博、『明治の輸入車』(1994年刊)の佐々木烈は齊藤の説を支持しパナール・ルヴァッソールを「第1号」としている。
  6. ^ 1990年に開催した開館1周年記念の第1回特別展で、(当時の定説通り)ロコモビルを日本最初の自動車として紹介した。このことで齊藤の研究成果を知る者たちからの批判を受けることになった[W 4]。博物館側も齊藤の説は把握していたが、博物館として裏付けを取れておらず、ビゴーの絵と新聞記事のみを根拠に当時の定説を覆して紹介することはできないという事情があった[W 4]
  7. ^ 1990年時点では日本初渡来の車両を「ロコモビル」としていたトヨタ博物館も、1998年にはそれを「パナール・ルヴァッソール」に改めた[W 4]
  8. ^ ドイツ博物館が所蔵している1896年製車両を同館の協力によってトヨタ博物館が模型化したもの。ドイツ博物館所蔵の1896年製車両は日本に渡来した1897年製車両に最も近いと考えられている。
  9. ^ 「M4」だとされることがあるが、これは実車の写真が発見される以前の情報から類推されたもので[23]、断定してよいのか不明である。1897年11月8日に納品された車両だとすると、「M2」(2気筒エンジン搭載モデル)ということになる[24]
  10. ^ この車両の納入先は「パナール・ルヴァッソール社」となっていて、つまりサンプル品扱いだったと解釈できる[25]
  11. ^ 競売のための宣伝イラストではティラー・ハンドルで描かれ、ビゴーの絵では丸型ハンドル(ステアリング・ホイール)で描かれていた。斎藤はビゴーは正確な描写に定評があること、パナール・ルヴァッソールはこの時期から丸型ハンドルに切り替えを行っていることから、ビゴーの絵が正しいと推測していたが[22][27]、1996年に実車の写真が発見されたことでティラー・ハンドルで確定した。
  12. ^ テブネが競売の宣伝のため出した広告では「乗り心地のいいゴム・タイヤ」とあり[27]、当時の新聞(『報知新聞』1898年3月5日付け記事)がタイヤについて「空気入りの護謨」と報じていたため空気入りタイヤだと推測されていたが、1996年に実車の写真が発見されたことでソリッドタイヤの可能性が浮上しており、確定していない。
  13. ^ 「ブイ機械製造所」については定かでなく、当時フランスでも有数の機械メーカーであった「Société Anonyme Usines Bouhey」ではないかと考えられている[24]
  14. ^ 2月7日付けの『東京朝日新聞』が「昨日」の出来事としてこのことを記事にしているため、2月6日の出来事と考えられている[24]。最初に記事を発見した齊藤俊彦は当初「2月1日付け」の記事としていたが[28]、後に「2月7日付け」の記事ということに記述を修正している[24]
  15. ^ 風刺画に付けられた題名の通り、最初の試走を描いたとする場合も、テブネもビゴーも日本滞在中の限られたフランス人であることから、最初の試走がいつ行われるのかをビゴーが事前に知ることは難しくなかったと推測されている[32]
  16. ^ 厳密には、この競売はホール商会が委託を受けてパナール・ルヴァッソールを競売にかけたというもので委託した売り主がテブネだということは明言されておらず、テブネが持ってきた車と同一とみなすのは推定である[24]
  17. ^ 古河潤吉はこの車両の発送元である陸奥廣吉の実弟。車両を乗せた東洋汽船亜米利加丸は1900年8月22日に横浜港に到着し、車両は古河を介して宮内省に納められた[35][W 9]
  18. ^ 「自動車の始」として記述がある[36]。石井は『明治事物起原』の初版(1908年刊)では日本の自動車の起源について「明治三十五年の中頃、横浜ブルール商会のアーベンハイム氏、米国よりオールドと称する自動車を輸入して乗用したるを始めとす。」、「もっとも、横浜にて乗用せし前、神戸にて乗用したる人あるやにも聞けども、詳らかならず。」[37]と記述している。
  19. ^ 柳田は同書を1941年に完成させていたが、物資統制により出版できずにいた。そうした背景から「第1号車としたい」という微妙な言い回しを用いたと推測されている[38]
  20. ^ 説を主張している尾崎は「米国製」と記載しているが、プログレス(Progress Cycle Co., Ltd.)はイギリス・コヴェントリーの自動車メーカーであり、ド・ディオン・ブートンのモーターを使って、四輪や三輪のサイクルカーを製造していた。
  21. ^ 自動車工業会(後の日本自動車工業会)は日本の自動車製造メーカー各社を会員とする業界団体で、日本の自動車業界では大きな権威を持つ。自工会が1960年代に編纂した『日本自動車工業史稿』は大規模な組織的調査に基づいて自動車史をまとめた書籍で、これもまた大きな権威を持つ。
  22. ^ 争ってる内容は蒸気自動車にどの品目として関税を適用するかというごく基本的な事柄で[48]、ストーンの申し立てを退ける採決を出す際に税関側は以前と対応を変えた(あるいは先例通り)といったことについて全く触れておらず[49]、過去に蒸気自動車を輸入したことがあるとは推量できない内容になっている。
  23. ^ 川田のロコモビルは1900年ロコモビル説が否定された後は1902年4月に輸入された内の1台と解釈されている[W 12]
  24. ^ 上述の批判や検証が表立ってされるようになったのはパナール・ルヴァッソール説が登場した後である。
  25. ^ 蒸気自動車以外の形式を含めても、1899年製造のオリエント・アスター(二輪自動車)が同社にとって最初の自動車であると考えられている。
  26. ^ 福島中尉[54]福島安正陸軍大将の子息とされる[55]
  27. ^ この写真は竹田家(旧竹田宮)が所有しているもので、写真には「明治33年」(1900年)と付記されていたとされるが[52]、写真を転載した『輜重兵史』(1979年刊)は「明治32年」(1901年)ではないかと修正し[55]、佐々木烈はそれをさらに「明治35年」(1902年)頃ということに修正している[53]。オールズモビル・カーブドダッシュが日本に最初に輸入されたのは1901年12月末だと考えられるためである[55]
  28. ^ 黒田がフランス留学から帰国したのは1892年で、オールズモビルの発売は1901年夏なので、この部分は辻褄が合っていない[55]
  29. ^ パナール・ルヴァッソールの試走日が修正されているほか、1987年以降の中部博らによる調査を反映した加筆がされている。

出典

  1. ^ 轍の文化史(齊藤1992)、「J・M・テブネの生涯」 pp.204–207
  2. ^ 自動車伝来物語(中部1992)、pp.173–178
  3. ^ a b 日本自動車工業史稿 第1巻(1965)、pp.8–18
  4. ^ a b c d e 第1回座談会 草創期の自動車工業(1973)、p.3
  5. ^ a b c 自動車伝来物語(中部1992)、pp.5–10
  6. ^ a b c d e f g h i j k 自動車伝来物語(中部1992)、pp.142–147
  7. ^ a b c d e f g h i j k l 日本自動車工業史稿 第1巻(1965)、pp.21–25
  8. ^ 日本自動車史(尾崎1942)、p.194
  9. ^ a b c d e f g 日本自動車発達史 明治篇(尾崎1937)、pp.127–128
  10. ^ 日本自動車発達史 明治篇(尾崎1937)、「日本自動車年史(明治年代)」 pp.239–243
  11. ^ 人間は何をつくってきたか② 自動車(1980)、p.63
  12. ^ a b 自動車三十年史(柳田1944)、p.3
  13. ^ 講演録「自動車遠乗会100周年に寄せて」、『トヨタ博物館紀要』No.15 pp.79–92
  14. ^ 20世紀の国産車(鈴木2000)、pp.28–29
  15. ^ a b 自動車伝来物語(中部1992)、pp.152–155
  16. ^ 明治の諷刺画家・ビゴー(清水1978)、pp.171–175
  17. ^ 自動車伝来物語(中部1992)、pp.155–158
  18. ^ 自動車伝来物語(中部1992)、pp.158–160
  19. ^ 自動車と人間の百年史(髙田1987)、pp.16–19
  20. ^ a b c d e 1枚の写真から、『トヨタ博物館紀要』No.3 pp.8–18
  21. ^ a b c 20世紀の国産車(鈴木2000)、pp.26–27
  22. ^ a b ベールを脱いだ幻の第一号車(齊藤1987)、p.34
  23. ^ 自動車伝来物語(中部1992)、pp.186–192
  24. ^ a b c d e f 轍の文化史(齊藤1992)、「ベールを脱いだ幻の第一号車」 pp.199–204
  25. ^ a b c d e f g h i 100年前の自動車展を振り返って、『トヨタ博物館紀要』No.5 pp.41–48
  26. ^ a b c d ベールを脱いだ幻の第一号車(齊藤1987)、p.33
  27. ^ a b c 自動車伝来物語(中部1992)、pp.178–186
  28. ^ a b c ベールを脱いだ幻の第一号車(齊藤1987)、p.30
  29. ^ a b 自動車伝来物語(中部1992)、pp.168–173
  30. ^ ベールを脱いだ幻の第一号車(齊藤1987)、p.32
  31. ^ a b 日本自動車史I(佐々木2004)、「日本自動車年表(1895~1913年)」 pp.270–282
  32. ^ a b ベールを脱いだ幻の第一号車(齊藤1987)、p.31
  33. ^ a b ベールを脱いだ幻の第一号車(齊藤1987)、p.35
  34. ^ a b 写された明治の日本の自動車(2)、『トヨタ博物館紀要』No.6 pp.27–31
  35. ^ a b 自動車伝来物語(中部1992)、pp.121–140
  36. ^ 明治事物起原 増訂版(石井1926)、p.338
  37. ^ 明治事物起原(石井1908)、p.229
  38. ^ a b c d e 自動車伝来物語(中部1992)、pp.16–24
  39. ^ a b 自動車伝来物語(中部1992)、pp.31–37
  40. ^ a b 写された明治の日本の自動車(3)、『トヨタ博物館紀要』No.7 pp.71–77
  41. ^ 明治の輸入車(佐々木1994)、pp.14–19
  42. ^ a b 第1回座談会 草創期の自動車工業(1973)、p.4
  43. ^ a b 汎交通 1961年5月号、「日本最初の自動車」(宮崎峰太郎) pp.10–13
  44. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 写された明治の日本の自動車(4)、『トヨタ博物館紀要』No.8 pp.16–29
  45. ^ 日本自動車工業史稿 第1巻(1965)、pp.19–20
  46. ^ a b 自動車伝来物語(中部1992)、pp.147–150
  47. ^ 日本自動車史I(佐々木2004)、pp.86–87
  48. ^ 日本自動車史I(佐々木2004)、pp.85–86
  49. ^ 日本自動車史I(佐々木2004)、pp.88–89
  50. ^ 自動車伝来物語(中部1992)、pp.24–31
  51. ^ 明治の輸入車(佐々木1994)、pp.25–29
  52. ^ a b 轍の文化史(齊藤1992)、「自動車渡来の諸説」 pp.210–214
  53. ^ a b c d 日本自動車史 写真・史料集(佐々木2012)、p.20
  54. ^ a b 輜重兵史 上(1979)、p.522
  55. ^ a b c d e f g 明治の輸入車(佐々木1994)、pp.36–41
  56. ^ 日本自動車史II(佐々木2005)、pp.56–59
  57. ^ 日本自動車工業史稿 第1巻(1965)、巻末「仮称「日本自動車略史」(その1)」 p.2
  1. ^ カタログ - ロコモビル スティーマー”. Gazoo. 2020年11月22日閲覧。
  2. ^ 鈴木一義「自動車産業の成り立ち」『日本ロボット学会誌』第27巻第1号、日本ロボット学会、2009年1月、12-15頁、doi:10.7210/jrsj.27.12ISSN 02891824NAID 100239810182020年11月22日閲覧 
  3. ^ a b 前屋毅 (2002年4月2日). “輸入車事始め Vol.05”. VividCar.com. 2009年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月22日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 前屋毅 (2002年4月16日). “輸入車事始め Vol.07”. VividCar.com. 2009年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月22日閲覧。
  5. ^ 前屋毅 (2002年4月9日). “輸入車事始め Vol.06”. VividCar.com. 2009年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月22日閲覧。
  6. ^ 大須賀和美 (1988年3月10日). “日本自動車史の資料的研究 第13報 日本陸軍,軍用自動車導入の過程,~大正2年(1913) 第14報 日本へ初めて現れた自動車,明治31年1月(1898)”. 中日本自動車短期大学. 2020年11月22日閲覧。
  7. ^ a b 前屋毅 (2002年4月23日). “輸入車事始め Vol.08”. VividCar.com. 2008年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月22日閲覧。
  8. ^ 第3項 自動車国産化――快進社や白楊社の挫折”. トヨタ自動車株式会社. 2020年11月22日閲覧。
  9. ^ a b 大須賀和美 (1992年3月10日). “日本自動車史の資料的研究(第18報) 東宮殿下御成婚の奉祝献納自動車(第4報)についての補稿”. 中日本自動車短期大学. 2020年11月22日閲覧。
  10. ^ a b c d 大須賀和美 (1980年3月10日). “日本自動車史の資料的研究 第4報”. 中日本自動車短期大学. 2020年11月22日閲覧。
  11. ^ 前屋毅 (2002年3月26日). “輸入車事始め Vol.04”. VividCar.com. 2009年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月22日閲覧。
  12. ^ a b ロコモビル”. 日本機械学会. 2020年11月22日閲覧。
  13. ^ a b c d e f g h i j k l 大須賀和美 (1993年3月10日). “日本自動車史の資料的研究 第19報 現存する日本最古の自動車“Locomobile”の輸入時期についての考察”. 中日本自動車短期大学. 2020年11月22日閲覧。


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