戸倉貞則とは? わかりやすく解説

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戸倉貞則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 20:12 UTC 版)

戸倉 貞則(とくら さだのり、1650年頃 - 1720年頃)は、江戸時代前期の豊後国(現大分県)の郷土史家。府内(現大分市)の西郊「沖ノ浜」に在住。豊後国の地誌、歴史書『豊府聞書』(ほうふききがき)全七巻を著した[1]


注釈

  1. ^ 元禄9年(1696年)に岡藩に招かれて藩儒となる。その私塾をもとに享保11年(1726年)に藩校輔仁堂となった。享保15年(1730年)没。著書に『春秋胡氏伝諺解』、『大道訓』、『冥加訓』がある[2]
  2. ^ 増澤本による[1]。由学館本では「戸倉貞則謹門書」の部分が「戸倉貞則謹聞書」となっている[5]
  3. ^ 「木付」が「杵築」と書かれるようになったのは、この年に六代将軍徳川家宣杵築藩三代藩主松平重休に与えた朱印状に「木付」を「杵築」と誤記したことによる。

出典

  1. ^ a b c d e f g 久多羅木儀一郎「豊府聞書と豊府紀聞」『歴史地震』第4巻、大分県地方史研究会、1955年6月、 24-27頁。
  2. ^ “大分)江戸の教育書「冥加訓」を意訳し出版 人気集める”. 朝日新聞. (2018年5月17日). http://www.norinagakinenkan.com/whats/ooyodomichikaze.html 
  3. ^ 大淀三千風”. 三重県. 2019年2月13日閲覧。
  4. ^ 大淀三千風 (オオヨド・ミチカゼ)”. 本居宣長記念館. 2019年2月13日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 日名子健二、松崎伸一、平井義人「講演要旨 慶長豊後地震と豊府紀聞・豊府聞書 (PDF) 」 『歴史地震』第30巻、歴史地震研究会、2015年、 204頁。同ポスター (PDF)
  6. ^ a b c 瓜生島考”. 平成の伊能忠敬、豊後を往く. 2019年2月13日閲覧。
  7. ^ 長谷川亮一. “瓜生島 “沈んだ島”の虚像と実像 [上]瓜生島伝説”. 幻想諸島航海記. 2019年2月13日閲覧。


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