慕容翰
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慕容 翰(ぼよう かん、? - 344年[1])は、五胡十六国時代前燕の人物。字は元邕。昌黎郡棘城県(現在の遼寧省錦州市義県の北西)を本貫とする鮮卑慕容部の出身である。慕容廆の庶長子であり、異母弟に慕容皝・慕容仁・慕容昭・慕容評・慕容幼らがいる。波乱に富んだ一生を送り、その生涯において様々な勢力を渡り歩いた。前燕の将軍としては高句麗・宇文部征伐に功績を挙げ、前燕の遼東・遼西地方における支配権確立に大いに貢献した。
- ^ 『通鑑考異』が引く『三十国春秋』によると、没年は永和2年(346年)9月となっているが、司馬光は恐らく誤りだろうと記している。
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